2006年03月17日号

No.66


札幌の朝は今日も元気だ。元気な朝に不釣合いな救急車がけたたましい音と共に走り去って行った。青い空の下には、幸せも悲しみもある。


   人間は何のために頑張っているのだろう…それは幸せになるためにと私は思う。


   随分昔、娘が「好きな言葉を埋めて行けば?」と何も書かれていない「マイブック」なるものを贈ってくれた。今、それをを開くと、折りにふれて書き留めて来た自作の詩や雑文があり結構面白い。一瞬の閃き、旬の言葉の数々、その中にこんな詩を見つけた。


   「幸せ」 あれも足りない/これも欲しい/いつも何かを探している人生ではなく/今を幸せと思いたい/私は今幸せです/これで充分です…と。


   私の人生を振り返った時に、きら星の如く思い出す幸せの名場面が幾つかある。死もあり得ると宣告された長男の脳腫瘍の手術が成功したあの日。息子は視力を失ったが、あの時私は息子の命ある事に感謝した。反抗期真っ只中だった二男が「ウルセエナ」と冷めた目で反抗しながらも、時々「はい!」と素直な返事が返って来た時は、それだけで泣きたい程嬉しかったものだ。


   私にも思春期はあった。クラスの好きな男の子と、目と目が合うだけでその日一日が小鳥のように幸せだった。苦しい事の合い間に、不思議と幸せがポッカリと現れる。神様の業は本当に素晴しい。幸せになるために、人は産れた瞬間から誰に教えられた訳でもないのに、母親のおっぱいにしがみついて生き始める。勉強する事も、大人になって働く事も幸せになるためだ。


   365日、奥さんのお見舞いに通って来るYさんが「家内が命なの、苦労かけたから。パウロに来れるのが幸せ」と言った。実は、私も今幸せなのです。娘に赤ちゃんが授かって、天使のような家族が増えたのです。


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