2006年04月14日号

No.67


春未だ浅い幣舞橋の上から眺める運河は、懐しい潮の香りがして、ポンポン船がのどかに揺れていた。此所に立つと、タイムスリップしてセーラー服姿の私が思い出されて来る。


   当時、原田康子の「挽歌」がベストセラーとなり、この橋の下でロケが行われていた。黒山の人だかりの中で、学校帰り友達と見物していたら、ロケ隊のスタッフが近寄って来て、「映画に出てみないか?」と言った。興奮して父に相談したら、「馬鹿者!!」と一喝された。あの時の父の一言がなければ…?と思うと可笑しくなって来る。


   当時の釧路は、炭鉱も漁港も盛んで、浜では鰊・鰯・秋刀魚に鮭と大漁に湧き、街は活気に溢れていた。今は往時の面影はない。そして運河を眺める私の心も重く泣いていた。


   母がお世話になっているグループホームは、小高い丘の上にあった。ホールには、入居者が寛いでいた。母もその輪の中に馴染んでいてホッとした。「お母さん!!」と声を掛けると、「まぁ!!」と目を丸くして驚き、仲間の方達が「良かった」と、我が事のように喜んでくれた。しかし、2泊3日の短い親孝行は、折角落着いていた母を混乱させる原因となってしまったようだ。「此所は私の家ではない。本当の家に帰りたい。あの家には大切なものが一杯あるのだよ」と、声を絞って泣くのだ。


   本当の家…父は朝から夜遅くまで患者さんの歯の治療をしていた。母もいきいきと父の仕事を手伝っていた。私を含めて4人の子供が成長した家、幸せだった家は今はない。


   「釧路に帰ってきて、家がないのは私も悲しいよ。お母さんのこの部屋に今日泊めて?」「此所に?狭い所だよいいのかい?」


   険しかった母の目が柔らいだ。(1)ゆっくり(2)楽しく(3)一緒に。これが認知症ケアの3原則だよ、忘れたのかい修子さん。自分に言い聞かせた。

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