2006年04月07日号

No.80


遠くの海に出漁するとき、女の見送りが多ければ、大漁になると、釧路の末広町で働いていた女性たちは信じていた。


   四十年前、釧路のキャバレー『銀の目』で、チーフバーテンをしていた頃は、数多くの北洋船団が全国から集まり、釧路港をびっしり埋めていた。北洋船団が出港する早朝は、薄暗いうちから美空ひばりの歌がスピーカーで響き渡り、日本酒、ビールなどの贈物が続々と船に届けられていた。


   ことに『銀の目』には漁業関係のお客が多かったから、ママが先頭に立ち、フルバンドが出演し、ホステスから洗い場のオバチャンまで集まった。目立てば目立つほど北洋からのお土産が多かったが、思わず目を見張るほどの大きさの紅鮭が、帰港と同時に十箱も届けられたこともあった。


   カウンターに座った漁師風のオヤジに「ケガニ好きかい?」と訊かれて、私は「一日中、朝、昼、晩に食べてもあきないや」と言って、ハイボールを一杯サービスしてやったら、次の日に、生きたケガニがリンゴの木箱に三十匹も届いてたまげた。


   その頃のキャバレーのホステスは社交さんと呼ばれていて、バーやクラブのホステスは女給さんと言われていた。女給さんはチップ制で社交さんは輪番制と呼ばれるシステムで、日給の保証がなかった。


   忙しい夜は二回も三回も客につけるけど、吹雪いて、お客がまったく来ない日がある。当然そんな日は一円にもならなかった。


   悪酔した年増の社交が、階段から落ちて失神したことがあった。彼女のリストバックを開けてみたら、店のトイレ用のペーパーが、きちんと畳んで詰めてあり、財布には一円も入っていなかった。水商売の表と裏、日当りと陰の世界をつくづく感じた。

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