2006年05月12日号

No.81


四十年前の釧路のキャバレー『銀の目』には、調理場で長い白い帽子を頭に乗せたフランス料理(と本人が言っていた)のコックがいた。三、四年あとに釧路市がほとんど展望できる丘の上に、東急ホテルがオープンしたとき、彼はチーフコックとして引き抜かれていったのだから、当時の釧路では一流のコックだったにちがいない。その頃の『銀の目』のメニューには、フランス料理のアラカルトが載っていて、お客は肝を潰したものだった。メインは何といってもビーフステーキだった。その頃はビフテキといっていた。 焼いた鉄皿の上のビーフが、じゅうじゅうと音を立て、思わず口の中に唾がたっぷり溜る匂いをまき散らして運ばれてくる。


   ゴルフ場帰りの十条製紙、本州製紙、太平洋炭鉱などの部課長たちは、ナイフとフォークを優雅に使ってビフテキを口に運ぶ。さすが東京から転勤してきた人はかっこういいなーと、社交(今のホステス)さんたちは憧れのまなざしで見つめ、取り囲んでいたものだった。


   その社交たちは、パパとかお父さんと呼べる客が来たとき、決ってビフテキをおねだりして、船主や船頭の客を驚かせた。社交はその場では食べずに、伝票に記入した半券(チビ券)を貰って、パパに支払いだけさせる。


   翌日の点呼のあと、調理場にその半券を出して、チーフコックに声高々とビフテキを注文する。


   ウエイターに運ばせたナイフとフォークを使って、他のホステスたちに、これ見よとばかりに食べるのである。彼女たちにとって、客のいない早い時間にステーキを食べるのは、いい客を持っているというステータスなのだった。


   私もステーキが好きなのは、その頃のキャバレーの世界につながっているのかも知れない。


デニムレギンス

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