No.82
Aさんが扉を押して店に入ってくると、ホステスたちは皆うんざりした顔つきを隠せない。
彼は大手水産会社の営業役員で、性格は温和。身なりも支払いもキチンとしている。店にとってはいい客のはずである。
だが、Aさんの話題は自慢話に終始する。奥さん、息子さん、娘さんに始まり、出身校、住んでいるマンション、先月買ったベンツ、飼い猫まで自慢する。さらに身につけているアルマーニのスーツ、ロレックスの腕時計、ダンヒルのネクタイ、カフスボタン、フェラガモの靴まで、延々と話が続くのだ。
来るたびに同じ話を聞かされるホステスたちはたまったものではない。しかし、彼女たちは彼の自慢話を、初めて聞くように目を輝かせ、驚き、感心し、羨ましがらなければならない。それだけに彼が帰ると、ホステスたちは口も聞けないほどぐったりしてしまう。
ホステスに嫌われる話題の一つが自慢話だ。特に家族の自慢には、殺意すら感じるホステスもいるという。
あるお客が、いつも指名している若いホステスに誕生日のプレゼントを渡した。すると彼女はいきなり泣き出した。大粒の涙が頬を伝ってポタポタとテーブルに落ちた。驚いたお客に彼女は「私は生まれてから一度も、誕生日のお祝いをしてもらったことがなかったんです」としゃくりあげた。
今どき、子どもの誕生日を祝わない家庭など考えられないだろう。しかし、夜の世界で働くホステスには、そんな寂しい子ども時代を送ってきた女も珍しくない。彼女はAさんの家族の自慢話をどんな気持ちで聞くだろうか。
ある夜、Aさんが大切な取引先の人を連れて店に来た。そして履いている靴の自慢を始めた。ホステスたちが素敵ねと声高にほめると、彼はその靴を脱いでテーブルに載せた。手にとってよく見ろというのだ。彼の大切なお客は、不快な顔つきをあらわにし、黙って立ち上がるとそのまま帰ってしまった。
その後、Aさんは全く店に来なくなった。営業から外されて閑職に回された、と彼の元部下から聞いた。靴のことが原因だったようである。




