2006年06月09日号

老年を考える?


ケアハウスに住む最高齢のTさんが誕生日を迎え98歳になった。痩せて「枯れ木」という表現がピッタシの女性だが、血液検査やその他の検査では、これといって病的所見は見当たらない。物忘れ、動作の俊敏さの衰えは否定できないが、受け答えはしっかりしている。彼女を「老年」と言うのは容易なのだが、眼の光りや周囲への配慮は「老年」と表現することを拒絶するような雰囲気がある。


   「老年とは何か」と問うと、必ず「何歳から老年」という質問が返ってくる。『日本老年学会』が設立されたのは昭和34年だそうだが、最初は「老年は60歳以上」と定義していたそうだ。その後は徐々に延長し、現在は75歳という主張もあるようだ。Tさんの例でも明らかだが、老年を定義する上で生物学的年齢はあまり当てにならない。年齢よりも若い、年齢よりも年老いた人が巷にあふれている。


   2000年以上前のローマ帝国時代に書かれた政治家キケロー著『老年について』という書物。大カトーという年取った偉人と小スキーピオーという若者との対話形式での議論。加齢に伴う4つの欠陥、①公的活動から離れる、②肉体が弱まる、③快楽を奪い去る、④死が近づいている、を最初に提起し、それぞれの項目について大カトーが反論する構成……現在でも通じる多くの示唆がある。


   厚生労働省の発表で100歳以上の人が2万5000人以上。1万人を超えたのが西暦2000年だから、ここ5年で2倍以上に……だが考えてみると、人生を幼少期、思春期…老年期などと区分してみても、平均寿命の延びによって各期が均等に長くなったのではなく、老年期だけが延長しているのだ。どうも、高齢化社会の問題はここにありそうだ。先日、教育に一生を燃やした妻の父親が88歳で亡くなり、改めて「老年」を考えさせられた。教育基本法が国会で審議されている現在、教育の未来に合掌!


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