2006年06月30日号

畏怖か恐怖か…霊のはなし


散歩人の父親は12年前に逝(い)ったのだが、死んで後、数ヵ月の間、家の前に立ったという。暗いうちに新聞を配達に来る隣村の青年に、「実は…」と打ち明けられて初めてわかった。毎朝のように、おじさんが家の前のモミジの木の下に立っている。新聞を入れるのに玄関まで行くのを、すうっと回るように向きを変えて見ている。髪の毛1本1本まではっきり見えて、足もちゃんとあり下駄を履いている…。青年は霊感の強い人で、気味が悪いこともあったが、何か成仏できない理由があるのでは、とも思いやってくれ、仏壇に花を供えたいと当家を訪れて、父の幽霊が立っていることを話してくれたのである。


   モミジの下に立つ父は、白地にかすり柄が入った浴衣を着ていたという。病院で着ていた浴衣と柄が同じだったから、家の者も死んだ父だと得心した。きっと生まれ育ち愛し続けた部落への思いが断ち切れなかったのだろう。そんな話になった。


   テレビや雑誌のせいなのか、現代は、霊の有無を言い合ってみたり、ただ恐怖感をあおるだけの興味本位の扱いが多い。東北の片田舎では、霊が存在するのは昔から当たり前のことだし、霊に対し畏怖(いふ)の念と親しみを持って成仏は願っても、害を為す恐怖の対象として敵視はしない。


   で、その後実家ではすぐに“カミサマ”(霊媒者として慕われている人をこう呼んでいる)を招いた。祭壇をしつらえて拝んだカミサマは、「ああ、今きれいな女神様と(幼い時亡くなった父の)お姉さんに手を引かれて天に昇っていったよ」と家族を安心させてくれたという。その後、父の霊は立たなくなった。ただ、母の寝所には時々気配となって現れ、母もどうやらそれを心待ちにしていた。


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