2006年09月08日号

そば屋の出前


「そば屋の出前」という慣用句がある。出前そばの催促の電話に、実際はまだ作ってもいないのに「今、出ましたから…」と返事してその場をしのぐ、小さな嘘だ。散歩人の場合は、“鬼の印刷所”の「原稿まだですか?」という催促に、まだまだできないのに「もう、少しです…」などと逃げる。いつものことだから、印刷所にはバレバレで「また、そば屋の出前だ」。まあ、こういうふうに使われる。


   「嘘も方便」という言葉もある。方便とは仏教用語で「衆生を教え導く手段」といった意味合いがあるという。人のことを思いやった「方便」の嘘と、自分の利益のためだけに人を欺くエゴイスティックな嘘とでは、天と地ほどの違いがある。夜、取っ組み合いの夫婦喧嘩に幼いこどもが目覚めて心配するのを「お父ちゃんとお母ちゃんで運動してるのよ」というのは、子供に不安をかけまいとする「方便」の部類で、いわば良い嘘だ。一方で、政治家や役人が嘘をつくことは、主権を持つ国民を欺く大罪をはらむ。許しがたいのは、人を陥れようとする悪意の嘘。人をねたみ、あるいは逆恨みして嘘で人を不幸にしようとする。そうした邪悪ともいえる自己中心的な嘘は卑劣以外の何物でもない。


   嘘発見器というのは血圧、心拍数、手の汗を図るもので、嘘をつく時の緊張による体の変化を利用した。ところが、嘘をつくのに慣れて平気な人もいて体の変化が出ないことがあり、最近は脳波を調べる方式に転換され始めているという。小さな嘘でも、その嘘を隠すためにまた嘘を重ねていく“嘘の上塗り”は、知らないうちに脳をどんどん不安定にし、異常な状態に心が病んでゆく。嘘をつかないという当たり前のことが、実は心の健康には大切だと、医学者は説いている。


   なぜか最近聞かなくなったが、確実に「嘘つきは泥棒の始まり」で、自分をも不幸にしてゆく。「そば屋の出前」もいい加減にしないといけないのである…。


パソコン

トラックバックURL:

« おまけの幸福感 | TOP | 膜の上に膜が出来た »

[PR]SEO対策済みテンプレート