2006年10月27日号

「いじめ」の問題


散歩人の小学生時代は、どちらかと言えばいじめられる方にいた。強度の近視で小学2年からメガネをかけた。当時、子供のメガネは田舎では珍しく、「四つ目」とやら「メガネ」とやら、その頃の人気漫画「丸出だめ夫」(森田拳次という人が描いた)のメガネをかけたキャラクターに似ていることから、「のび太」ならまだいいものを「だめ夫、だめ夫」とからかわれた。そんなことは意地でも親には言わなかったが、わかっていたのだろう、「バカにするやつはみんな馬鹿だと思え」「偉い人間は人をバカにしないものだ」と常々言い聞かせられたのを覚えている。

   ただ、散歩人をからかった連中はみんな気のいい連中だった。今思えば、遠慮深慮の幼い悪ガキ供で、強い弱いの序列をつけようとする単純な動物的行動だったり、遊びをまじえた他愛のないからかいが、時にエスカレートしたに過ぎなかった。だから、そういうのは、中学、高校に成長するにつれて影を潜めた。

   「いじめ」の問題が深刻化している。むしろ、社会的ヒステリーに陥って、「いじめ対策」と称する「いじめ狩り」がエスカレートする気配さえある。だから逆に気になる。からかったり、喧嘩したりするごく日常的な子供の世界に、被害妄想に犯された大人(親や教育委員会や、その管理を受ける立場に置かれてしまった先生たち)が必要以上に立ち入った時、子供の正常な成長がねじ曲げられてしまう危険性が出てくると思うのだ。

   どこまでが当たり前の子供の行為で、どこまでが“いじめ”なのか。どれもこれも一緒くたに「いじめ」にしてしまったら、子供たちはたまったものではない。いじめっ子、いじめられっ子…下手をしたら、なんでもいじめという“犯罪”にされて、学校の日常が犯人探しと犯罪糾弾のような陰湿な環境に変わってしまいかねない

   「偉い人間は人をバカにしない」という母親の一言に散歩人は支えられ、自尊心を持つことができたと思う。からかわれてもその言葉を判断基準に据え、「自分は決して人をバカにはしない」という自尊心があった。今こそ、子供の世界を見つめ、冷静に温かく成長を見守る姿勢が、大人たちには求められているのではないか。

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