2006年11月24日号

子育て“オレ流”


11月半ば、うっすらと雪が積もったりして、さあ、いよいよ冬…と、大人はどうしても身構えてしまうのだけれど、子供たちのはしゃぐ情景を見ていると、我が身も通ってきた道だけど、子供には子供の世界があるのだという当たり前のことに気付かされた。ある意味「子供は放っておけばよろしい」、そう思う。もし、放っておけないような世の中ならば、それはもう、子供が自然な成長を遂(と)げられない、危機的社会だろう。


   蚕は桑の葉を昼夜なく食べ、次に眠ることを繰り返し、4回脱皮して繭を作り、成虫になる。専門家の話では、人間も5歳半ばで経験の中でものごとを学ぶ力を獲得し、14歳ごろに抽象的な思考力が加わるというように、やはり4度の大きな発達のステップを踏んで大人になって行くのが正常な成長のあり方だという。ゆったりとした、まるで揺りかごのような長い時間が、心と体を成長させて行く。


   “子育て論”というものがずいぶん神経質にもてはやされる。まるで、マニュアル書のような論議を聞いていると、何か違うな、という違和感がわき上がってくる。ハレモノに触るような、それでいて理ずくめの子育て論が多いのだ。大人の社会の身勝手な理屈を子供の成長原理を無視して押し付けていないか。人がこの世に出現してこの方、誰でもやってきた子育てだ。そんなに難しいはずがないではないか。

時差へどだい子供の心の隅々まで親にわかるわけはない。親が子に与えられるのは、命と、子が自立するまでの「喰う寝るところに住むところ」、そして、生きてゆくための「信念」と「知恵」の教えだろうと思う。子が理解しようがしまいが教える。後は子供次第……「オレ流」でやるしかない、と腹に据えてかかるのだ。

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