2007年02月16日号

No.76


出勤前の慌しい時間、新聞に目を通していたら「芥川賞作家、高橋揆一郎さんが死去」の訃報の記事が目に飛び込んできた。


   1997年、月刊雑誌Kの“揆一郎のせいしゅん対談”のコーナーで、高橋揆一郎さんと対談させて頂いたことがある。


   芥川賞作家との対談…私は緊張していた。四角いお顔、黒縁の大きな眼鏡、黒いシャツにジャケットというラフなスタイルで、対談の間、次々と煙草に火を点けられて相当のヘビースモーカーのようであった。


   先生はまず「経営理念を聞かせて下さい」と切り出した。私は亡き夫が常日頃言っていた言葉「自分の親ならどうする?患者を自分の親と思い介護に関わるように」この理念を大切に守っていきたいと答えた。強おもての先生のお顔が次第に柔和な表情に変わり、予定されていた対談時間は大巾にオーバーしていった。介護の大変さ、奥の深さを説明させて頂いた時、フランスの作家アナトール・フランスの言葉「もし私が造化の神であったなら、神は青春を人生の終わりに置いたであろう」と引用された。舞い上がっていた私は、この言葉の意味が理解できず、その場に相応しい返事ができなかった。今なら青春を人生の終わりに置く意味を質問させて頂き、人生を春夏秋冬に例えて自分の気持ちを素直に言葉にできたように思う。


   私の著書「老人病棟に春が来た」を読んで下さっていて、「一気に読みました。パウロ病院はそのまま教会であると感じました。此処には神がおられる」と仰ってくださった時には、言葉がなく只々頭を垂れた。あの日の対談の中で、私はパウロ病院を桜で例えるなら、まだ六分咲きですと言ったが、10年の時を経た今、何分咲きになったであろうか…。高橋揆一郎先生に胸を張って言えるものはあるだろうか…尊いご縁に感謝。ご冥福を祈って合掌。

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