2007年02月16日号

大人としての責任


「ばあさんが子供を過保護にして困る」と知人にボヤかれたことがある。幼稚園の息子に自転車を買ってやったところ「危ないと言って乗せないんだよ。転んだらどうする、交通事故に遭ったらどうする、の一点張りだ」というのだ。孫可愛さのあまりなのもわかるのだが、「あれも危ない、これもダメでは、子供がまともに育たない」と知人は心配した。


   散歩人の子供の頃は車も少なかった反面、山にも川にも危険がいっぱいだった。木の実をとりに山に入っては、たびたび木の上から落ちた。バランスを崩して笹やぶにまっさかさまということもある。川で深みにはまったり、道でとぐろを巻く蝮(まむし)とはにらめっこして、学校の鉄棒では頭から地面に落ちたことも2、3回ある。一歩間違えば命に関わったこうした経験が、身体に「気をつける」という意識と知識と、身のこなしを覚えさせてくれたのだろうと思う。


   人間が生きていく以上、危険と隣り合わせなのは宿命というしかない。その危険との出会いが経験則となり、生き抜いて行くための知恵になって力となるのだろう。安全地帯に隔離するのでは、生きる力が育たない。清潔の中の純粋培養では、免疫力の弱い、ひ弱な体になってしまうのと同じような仕組みだ。


   “獅子の子落とし(子を谷に落とし試練を与える)”、“可愛い子には旅をさせよ”――昔から人々はそう言い継いで来た。危険から隔離するだけでなめるように育てるのでは、子供の将来に禍根を残すかも知れない。件(くだん)の知人はこうも言った。「命に関わる何かあっても、仕方がないかも知れない」。人間が自然の摂理の下に生きる生物である以上、危険は付きものだという覚悟がいる。そういう厳然とした視点から社会全体が逃げてはいないか。ある意味、大人としての責任を避けてはいないか。そうだとすれば子供たちがかわいそうだ。

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