2007年03月09日号

赤ちゃんポスト


「赤ちゃんポスト」が、今、論議を呼んでいる。熊本市の慈恵病院が、保護者が育てられない新生児を“預かる”ポストを設置する計画を立てた。これに対し厚生労働省は、設置自体は法律上の問題はないという見解を示し、赤ちゃんの遺棄はあってはならないが、死亡する事件も現実にあり、「認めないという理由はない」と結果的には容認する、なんともすっきりしない判断を出している。

赤ちゃんポストというものは、ドイツのキリスト教系団体が2000年から設置して、同国で70ヵ所以上に広がっているといわれる。慈恵病院はこの“ポスト”を「こうのとりのゆりかご」と呼ぶ。病院の外壁に扉を付け、内側に体温程度に保温された保育器を24時間置き、赤ちゃんが置かれるとその重さで院内にブザーで知らせる仕組みで、そのブザーで助産師さんらが駆け付ける。監視カメラはつけず、赤ちゃんを置く保育器には「もう一度、赤ちゃんを引き取りたい時には、信頼して、いつでも連絡してください」というような手紙を置いておくのだという。母親が名乗り出ない場合、児童相談所を通じて乳児院に入れることになるが、病院側では、できるだけ母親に名乗り出てもらい、子供が欲しい里親希望者との養子縁組を目指したいと考えているとのことだ。

しかし、赤ちゃんを捨てるという行為は、保護責任者遺棄罪という犯罪である以上に、人間として許されないことだろうと思う。赤ちゃんを捨てて殺してしまう事件が相次ぐという世相の中で、「子供の命だけは救いたい」という切実な願いがある。その一方で、「捨てる行為を助長する」という危機感もまた、社会には切実にあるだろう。「言い換えれば“子捨て箱”だろう」との辛辣な反応もある。

飢え、戦火、貧しさ…。時代は、母親たちの叫喚の中で、少なくとも生まれ出た嬰児(みどりご)は殺さずにすむ幸福を求めて歴史を刻んで来たのではなかったか。残念ながら、いまの日本では、おそらくそうしたぎりぎりの理由は少ないだろうという気がする。ある意味、赤ちゃんをポストに入れてしまえばそれでいい、現実逃避という無責任の“捨て場”になってはならない。少なくともそのようなポストは安易に作るべきものではないはずだと、切実にそう思うのだ…。

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