2007年04月13日号

魔法のタネ


若い頃、「郷ひろみに似てる」と言われたことが、1度だけある…。口の悪い(?)友人たち間ではドリフターズの仲本工事に近いと言われていたものだから、「これは俺も捨てたもんじゃない」と内心その気になって、鏡を見た。郷ひろみには程遠いいつもの顔である。しかし、散歩人は強度の近視でしかも乱視である。鏡の中の自分の顔がはたして実際の顔なのかどうか疑わしい。目が悪いから見えないだけで、本当は「郷ひろみ」の面影がどこかにあるのだろう…そう思うことにした。


   先日、「郷ひろみに似ていると言われたことがある」と会社で話したら、「ええっ!」と大笑いされた。社員は(ことに女性社員は)「どこをどう結び付けても想像できない」と明確な裁定を下すのである。そんなことはない。顔を少し細くして、眉毛を濃くして、目じりを3mmほど上げて二重にし、鼻すじを通して、唇も少々薄くし、エラをこれもほんの少々張らせて、ホクロも取り、最後に髪をぱさぱさっと生やせば、郷ひろみになるではないか。この広大な宇宙からすれば、ほんの少しの修正だ。年も同じだし血液型も同じだし…。ただ、似てると言われた話をしたら、「郷さんにあまりに失礼だ」と、なぜかある女性に叱られた経験がある。どうやら熱心なファンだったらしい。


   ほんの些細(ささい)な“ひと言”が元気をくれることがある。そのひと言が人の一生の支えになることもある。18歳の頃、銀座の街角で手相占いに呼び止められた。見料はいらないと手相を見て、「あなたの相は大器晩成型だ。50までは苦労するが頑張りなさい」。田舎もの丸出しの青年に同情してくれたのだろうけど、その言葉もずっと散歩人の人生に寄り添ってくれる“ひと言”になった。


   いいところを引き出してほめる言葉は、人に力を与える“魔法のタネ”かも知れない。「ひろみに似てる」と言ってくれた人は、そのひと言が1人の男の人生の支えになったとは夢にも思わないだろう。逆に不用意なひと言が相手に一生の傷を負わせることもありえるのだろうと思えば、言葉というものの力は恐ろしい。まあ、受け取る側も、散歩人のようにいい方に勘違いできるという“特技”を持てばいいのだが、「それを世間では、オメデタイというんだよ」と口の悪い友人は言うのである…。

トラックバックURL:

« 赤ちゃんの涙目 | TOP | 網膜剥離⑥黄斑円孔(3) »