2007年04月27日号

春の願い…


春になったら何をしようかと、毎年冬の間中考える。雪どけ水が清々(すがすが)しい山ぎわの辺りでフキノトウを採りたい、ネコヤナギの枝を手折って来たい、芽吹きの森を歩きたい、山菜も摘みに行きたい、ウグイスの声を聞きに行きたい、満開の桜の木の下にゆっくり寝転んでいたい、酒と弁当を持って梅の花見もしたい、海辺で貝殻や漂着物のいろんなのを集めて歩きたい…。


   実際はほとんどが実現できないままに花が散って山菜の季節も終わり、いつの間にか夏になって、気がつけば秋を過ぎ、白いものがちらついたりしている。そんな幾年を繰り返している。せめて、そこいら辺の野原か土手の、ポカポカのお日さまの下で、子供の頃のような時間の無い一日を過ごせたらどんなにいいか…そんな飢えに似た欲求が心のどこかにある。ところが、時間が与えられたにしても、幼な子のように無邪気な“白い時”を過ごせるかどうか心もとない。追われることに慣れ切ってしまっていて、おそらく無理だろうと思うと、何か寂しい…。


   去年秋のこの欄で、「道端の名も無い花」と書いたら、「名の無い花などは無い…」と読者からお叱りをいただいた。心のやさしい方なのだろう、そういう鈍感な表現を許せないようだった。「雑草」と言ってやはり叱られたことがある。それでも、そういう細(こま)やかな指摘が寄せられると、小さなものたちに心を通わせる人々の感性に触れ合えたような気がして、うれしくなる。


   桜の花の頃、そこが野原だったら、スミレや、白や青や黄のごくごく小さな「名も知らぬ花々」がきっと咲いている。虫めがねでのぞいてみれば、心を奪われてしまいそうになるほどの美しさだ。堂々とそれぞれに与えられた命を謳歌するように咲き誇って、輝いている。乾いた土の匂いをかぎながら日がな一日野の花の中にいるのも、春の叶(かな)えたい願いの一つ…。

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