2007年04月06日号

嫁(婿)姑(舅)共同参画?


桜の花がけむる春のある日、細い峠道を辿る花嫁行列があった。里の村から嫁ぐ花嫁は、ふもとで馬車を降り、花嫁衣裳に角隠しをつけたままもんぺを着け、草履を地下足袋に履きかえて、まだぬかるみの残る山道を登った。付き添う村人が歌う長持ち歌が山に響く。昭和22年4月28日、散歩人の母親が、東北の山間の小さな村に嫁いだ時の情景を、本人は未だにあまり話そうとしない。


   満17歳。頬にまだ赤みが残る少女だった。「なんも知らね(年)でしゃ。嫌で何回も断ってもらったども、まわりで決められでしまうがら…」。嫁いだ先は決して豊かとはいえない農家で、花婿は11歳も年上のうえに、舅(しゅうと)は厳しい人だった。決して悪い人たちではなかったが、少女の新しい生活は、ただ「はい。はい。」と言うことを聞き、何か言われないか、まわりの目だけを気にしながら萎縮して1日1日を生き延びる、そんな日々が続いた。馬車馬のように働き、酒乱が高じた夫の暴力に耐え続ける。嫁入りの日のあの青空と桜は、母にとっては記憶の底に沈めてしまいたい情景になっていたのかも知れない。


   当時の花嫁に一度嫁げば帰る所はなく、現代と違って右も左もわからない世間に飛び出す勇気も知恵も持てるはずもまたなく、多くの女性は我慢の上に血と汗と涙とさらにまた我慢を重ねて、家を支え子を育てたのだろう。ある意味、そうした犠牲の上に、家制度、各世代同居の“大家族”というものが成り立って来た側面がある。


   ところが、1組の夫婦と子供だけの“核家族”化が急速に進んだ現代、今度は離婚率の上昇(平成7年は昭和40年の4・6倍)や子育ての行き詰まり感、高齢化社会の中の生活問題など、さまざまな難問が立ちふさがる。年を取って看取られることもなく死んでゆく現実はあまりにも悲しい。子供たちの心が拠(よ)り所を失ってさまよう姿は悲惨だ。じいさんばあさんがいて、父さん母さんがいる、そんな“大家族”が恋しい。人間関係の問題はつきまとうだろうけど、孫と子供のために、お互いの少しずつの犠牲と思いやりで、女たちだけが犠牲にならないような、男女・嫁(婿)姑(舅)共同参画的新家族主義…。無理かなぁ。

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