2007年05月18日号

イーハトーブで


里帰りするその行きがけに、岩手県の盛岡に立ち寄ることができた。宮沢賢治ゆかりの街……賢治が夢想した理想郷イーハトーブの中心地。その詩情豊かな街にせっかくたどり着きながら、時間が無いからと結局は駅前のそば屋さんでこれもまあ一度は食べてみたかったわんこそばに挑戦して男性平均50杯だというのに43杯でギブアップして…食い気ばかりの1時間数10分で街を離れたのだったが、それでも北上川に寄り添う街並みの美しさには、思わずため息をついた。


   この地で、月刊「街もりおか」(杜の都社発行)という冊子に出会った。地元の人々の寄稿が並ぶ上品なタウン誌だが、そこに永洞一夫さん(「松尾町第一寿会」会長)という方が書かれた流麗なエッセイが載っていて、思わず引き込まれてしまった。その「粋」という見出しの段に…。


   ――Sさんは、九十四歳になる母上の入浴のために、初めて介護ヘルパーを頼んだ。しかし、作業用の薄い手袋をした手で顔をふかれたお母さんは、すっと心を閉ざし、再び顔に触れさせようとはしなかった。人は人であり、物ではない。もし作業用のゴム手袋で私の顔をふく人がいたら、私は、その人の向うずねをけとばす。(そのとき、私にその力が残っていることを祈るのだが)。作業用のゴム手袋で顔をふく手には、心も粋もない。――


   この文章を読んで「ああ、本当にそうだ」と思った。ほんの些細なことであっても、人が人としての尊厳をおろそかにされた時の屈辱感は、おそらく存在を否定されるのと同じ寂莫感をともなう。弱い者をもてあそぶような福祉・介護政策の迷走ぶりひとつ取ってみても、そんな「心のない」情景があちらこちらに見られるようになってきたように思う。賢治が夢想した世界とは程遠く、人の心のあり方は野暮になる一方ではないか。エッセイを読みながら、理想郷イーハトーブでそんなことを思った。

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