2007年07月20日号

No.81


大切な方のお葬式が続いた。お葬式は悲しい。二度とまみえる事ができないのだから。


   ここに一枚の写真がある。今年も四月八日夫の14回忌がパウロ病院の御聖堂で行われ、花で溢れた。その時のお花の写真をM工業の高坂社長が額に入れて届けてくださった。社長の優しい目でレンズを覗いた写真は美しい。しかし、その社長が二ヵ月後亡くなった。


   そしてこの度、北晨会恵み野病院理事長の近藤先生の訃報が入った。驚きの余り茫然自失の状態になってしまった。お二人共60代半ば…。私も夫との永遠の別れの日の事が重なり、胃を絞り上げる様な悲しみが襲ってきた。夫も64歳、早過ぎる死であった。手にかけた患者さんを残して逝かなければならなかった無情と無念さを思う度に、私の心は波立つように苦しく悲しい。


   死を恐くないと言う人がいる。私は恐い。家族との別れを想像するだけで涙が出て来る。全ての音が消えた深夜、こうして原稿を書いていると自分が不思議な世界に迷い込んでいる様な気がして来た。心の回診の読者の方から「中山さん、今月号は淋しいですね」と言われそうだな…と思った。そうなのです。許して下さい。私は今、二つのかけがえのない大きな星を失って悲しいのです。百パーセント健康な人間なんて、この世にいないのだと考えたのです。老いと言う現象ひとつ取ってみても、それから逃れる術がない様に、私達は一人ひとり全て、病気を内側に抱きながら生きている存在かも知れない。だから今日と言う日を生かされている命に感謝して生きて行かなければならないのです…と偉そうな事を書きながら、楽観主義の私は聖書の中の大好きな箇所を思い出した――神様は人間の背負えない重さの十字架は決して与えないとある。私に背負える十字架を与えてくださるのだ。――おまかせします。

トラックバックURL:

« 美意識 | TOP | 診察室で認知症を疑う »