2007年10月19日号

No.85


病棟を歩いていると、春の陽だまりのように心がほんわかあったかくなる時がある。


   夫、妻、親、息子、娘のお見舞に来て、本当は切なくなったり、不安になったり暗い心の筈なのに、長期の入院生活の中で家族同士が仲良くなり、まるで親戚か同窓会の集りのように和やかな空気に包まれている。そこには涙を忘れられる時間がゆったりと流れていて、共通の痛みを持った家族同士が支え合い、寄り添い合って、同じ時間に逢える事を楽しみにお見舞いに来ているようだ。


   私も時々仲間に入れて頂いて、病棟の廊下である事を忘れて笑い声が弾ける。


   先日の事、患者のM男さんが、動かない体をベッドの上で必死で起こして、「俺、歩けるようになるかい?」と問う。「歩ける」と私は言い切った。「治る!と信じて、希望を持って頑張れば治るよ」「よかったあ」、M男さんが細い手を差し出した。私は強く握り返す。M男さんと別れて廊下を歩きながら涙を我慢した。無責任な自分を責め嫌悪した。長びく入院生活の中で絶望しかけているM男さんを元気づけるためには、これしかなかった…と自分の心に言い訳をする。


   頭が冴えていて、指一本自由に動かす事のできない状態はどれ程辛い事だろう。我が身に置き換えた所でそれはいっときの事。残念な事に私は患者さんを治して上げる事ができない。


   私が医者だったら、まず二つの耳をダンボにして聴いて上げよう。それから「手当」の言葉通り、手を当てて苦しい所を楽にして上げたい。「痛い」「淋しい」「来てくれ」と言ってほしい。誰も好きで病気になる人はいないのだ。


   では医者でない私にできる事は…?


   『言魂(ことだま)』、希望の持てる言葉をかけて上げたい。魂のこもった言葉を言える人間でありたい。色々な事を考える秋です。


トラックバックURL:

« 力関係 | TOP | ビーチ・コーピング→ビチコ? »