2007年10月12日号

わかって下さい


因幡晃の「わかって下さい」という歌が結構好きな曲だった。「~これから淋しい秋です/ときおり手紙を書きます/涙で文字がにじんでいたなら/わかって下さい」という飾らない透明感のある詩が美しく、心に残っている。“わかって下さい”という思いは、人ひとりひとりが抱えている、心の叫びなのだろうとよく思う。恋心をあからさまに伝えるには、当人にとっては清水の舞台から飛び降りるくらいの勇気がいるだろうし、嫌われたくない怯(おび)えの心が言葉を2重3重に包み込んで、その繊細さが、日本では「ゆかしさ」という美徳になったのかも知れない。


   何も恋に限ったことではなくて、主婦のほとんどが夫は自分のことや家庭のことを「わかってくれない」という不満を持っていて、それが精神不安や家庭のトラブルにつながって行くという何かの調査があった。仕事だってそうで、現場の実情や努力の思いを汲んでくれなければ、「わかってくれない」むなしさが募(つの)る。経営者は経営者で、言うに言えないさまざまな“事情”というものがあるから、なおさら理解を得られず「孤独」になる一方。飲み屋のカウンターで「わかってくれないんだよなあ」などと愚痴をこぼす。


   中国の古典に「士は己を知る者のために死し、女は己をよろこぶ者のために容(かたちづく)る」というのがあって、その前の方だけとって、武士は自分を理解してくれる人のためには命をも捨てる――と、良く使われてきた文句なのだが、これなども透かして見れば「わかって下さい」の裏返しで、それほど、わかってくれる人はいないという、昔々からの嘆き節。


   「わかって欲しい」に応えるには、とにかく自分というものを捨てて、ただただその人の立場に立って、頭の中に汗をかくまでに考えに考えること…だと、もちろん限界はあっても考える努力の分だけはましではないかと思っている。底の浅いわがまま身勝手を「わかってくれない」とだだをこねているだけの手合いも増えているようだけれど、とにもかくにも、あらゆる人の「わかって下さい」という心の叫びが世に充満している。その叫びが、なぜか最近は、とみに高くなっているような気がするのだ…。

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