2008年01月18日号

No.88


私は一姫二太郎、三人の子供に恵まれました。姫は幸せな家庭を持ち、二太郎は父親と同じ道を選び、一太郎はいつも私の側にいます。何故側にいるのかって?彼は6才の時に脳腫瘍の大手術を受け失明しました。気の毒に…とよく言われますが「命だけは助けて下さい」と神様に祈り、その通りに助けて頂いた命です。もし正常な目だったら…と思う事はありましたが、うらんだり嘆いたりしたことは無いのです。生きて側にいてくれることが只々有難いのです。そして此の頃この息子のお陰で、私が守られ、生かされている事が分って来ました。私と息子は凸凹コンビ、目が見える私が誘導はしますが、記憶力の減退も含めて彼が秘書代わり、大切な事を記憶してくれています。電話のやり取りも「たしか○日って約束を入れていたよ」なんて、助けられるのは日常茶飯事の事。


   元旦の朝、新雪を踏んで私達は教会に行きました。人、一人がやっと歩ける細い一本道を私の肩に息子がつながって歩きました。183㎝、80㎏の息子の体が重くて、「重いね」と思わず言葉に出してしまったのです。「ごめんね、ぼくがお母さんを助けないと駄目なのに」そして、つながっている両手で肩を揉んでくれました。「大丈夫だよ」と言ったものの、「なんて馬鹿な事を言ってしまったの…」と教会ではずっとこの事を反省しました。この息子のお陰でどんなに慰められ、救われて来たか知れないのです。凸凹コンビでずーッと頑張って来ました。でも今は、助けて来た母親の方が助けて貰う方が多くなって、立場が逆転です。息子が小学一年生の時の詩(「僕の目の奥に」)です。――郁ちゃん/郁ちゃん/母が二階でぼくを呼んでいる/ナンダ!/ナンダ!/桜がきれいだよ/母と並んで桜を見た/ぼくの目の奥に桃色の桜が見えた/はっきり見えた――人間、完全な人などいない。心で桜を見る事のできる息子と春を待っている私です。


黒執事 CD

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