2008年01月25日号

“サービス大国”と“自立”


日本はある意味“サービス大国”であるらしい。秒の誤差でバスも電車も走るという、例えばそういう恵まれた社会は、世界でもあまりないのではないか。本当に大切にしなければならない社会だとは思うのだが、時に、ゼイタクは人間を堕落させる。変に恵まれ過ぎて、ヤワな人間が増えているのではないか、なんていう心配もあるのだ。


   作家の浅田次郎さんがそのエッセイ(「つばさよつばさ」小学館刊)で面白い体験を紹介している。アメリカの講演旅行の時、離陸待ちの国内線航空機の出発が安全点検のために遅れ、とうとう欠航になった。航空大国の米国、降ろされた乗客は文句一つ言わないで、個人の責任として目的地に行くための次の行動に移っている。浅田さんも講演地の近くに飛ぶ便を調べ何とかチケットを入手できた。その時、日本人の若者が心細げに話しかけてきた。…あのう、僕はどうしたらいいんでしょう…。「どうするも何も、自分の始末は自分でつけるのが世界の常識である」と、浅田さんはあきれる。英語もろくにしゃべれない。放っておくわけにも行かず、八方手を尽くして成田直行便のシートをようやく確保して渡してやった。若者は「ああ、よかった」と、まるで当然の権利のようにチケットを受け取った。「ありがとう」すら言えない。「自分が何もしなくとも社会が何とかしてくれる結構な国に生まれ育った若者は、自己責任という言葉どころか、『ありがとう』の一言も忘れてしまっているのではなかろうか」……浅田さんは嘆(なげ)く。


   高度成長の後、日本人の多くは食べるにも生活にも困らない恵まれた時代に生きた。実はそれが当たり前の“権利”のようにいつの間にか身に染み付いてしまったのではないか。1人ひとりが「何とかなる」「何とかしてくれる」「まさか、自分だけは」…依頼心ばかりが強まって、漫然と生きるうちに、今になって、のっぴきならない状態に陥りつつある。努力して手に入れるべきものが「当たり前」の意識に変わったとたん、足元が崩れ始めている。


   自分の始末は自分でつける――そういう厳しさの原点がいつの世でも、生きて行くためには必要なんだろうと、あらためて自分に言い聞かせている。


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