2008年05月09日号

八柳さんを偲んで


作家の八柳鐵郎さんが逝ってしまわれた。4月19日午後1時10分。76歳だった。


   八柳さんの愛読者を自認する評論家の佐高信氏は、その評論集「筆刀直評」(毎日新聞社)の中で八柳さんの「ある再会」(北海道新聞社)を評しながら―「木工場のボイラーたき、炭鉱員、魚の行商、バーテン……暗い青春の軌跡の末に日本一の大キャバレーの専務になった男」が八柳鐵郎である。これは「初の自伝的小説」だというが、私はこの人のエッセーをあまさず愛読してきた。『すすきの有影灯』(北海道新聞社)、『薄野まで』(朝日新聞社)、『振り向けば薄野』(財界さっぽろ)である――樺太生まれで北海道に引き揚げて来てから米軍のキャンプに勤めたりもした八柳の“告白録”を読むと、時に涙させられながら、「人情ってものは上になくて下にある」という言葉を思い出す――柿の渋が甘味に変わるように、八柳がなめた苦労の数々も、いまや活字となって逆に、読者にほのぼのとした印象を与える―。


   70歳を過ぎても、時折キャバレー「エンペラー」のフロアに立った。その姿は背筋がすらりと伸びていて、客に接する時の温かみ、もの腰の低さは、つい見惚れてしまうほどに気持ちがよかった。そのかたわらで、ネオン街の人情話をつづるエッセーを世に送り、本誌にも平成10年から「ススキのいろいろ」を書いてくださっていた。体調を崩されて休筆する2006年6月まで、連載は82回を数えた。


   21日に行われた通夜には、多くの女性たちが参列した。葬儀委員長は声を詰まらせながら、「八柳さんを偲んで、帰りにはススキノで一杯やって行って欲しい」と呼びかけた。ほぼ1年ぶりのススキノの酒は、世話になりながら不義理を重ねてきた悔いばかりが募って、ほろ苦かった。――八柳さん、本当にありがとうございました――合掌。


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