2008年08月08日号

大人の大きさ


秋田の能代高校という元は男子校だった学校を卒業した。昭和40年代、昔でいうバンカラ気質をどこかに残していたから、生徒の自主性を尊重、というのか“大人扱い”する気風があった。その代わり、落第・停学・退学…処置も厳然としていたと思う。義務教育ではない、授業料を払って(もらって)、自分の意志で通学しているのだという責任感と自立心がなければ子供扱いされた。


   下宿やアパート暮らしも多いためか、昔からの学生食堂があった。記憶ではそれが11時前からもうやっていて、昼休みを待たず3時間目の休み時間には学食に走った。学食にはオバチャンがいるのだが、2年生くらいになって図々しくなると忙しいだろうからと勝手に厨房に入って、カレーだの天丼だの自分で作って食うのである。かき揚げにそばつゆをかけただけの天丼が好物だった。


   親元を離れてのアパート暮らしだから、いつもカラッケツだった。で、“早弁”の後、晴れた日の昼休みや放課後は貴重な労働時間になる。バケツか袋を持って、あまり目立たないようにグランドと校舎の周りを一回りする。コーラやファンタ、牛乳瓶を集めて裏門前の店に持って行く。1本10円になる。30本拾えれば300円。学食で2食とパンの耳代くらいにはなった。ビンをポイ捨てする連中がいれば、思わずにんまりしてその場所を覚えておいた。ただ、雪がある冬や雨の日はひもじい思いをすることになる。


   昼前の学食には、“早弁”する生徒が何人もいた。それでも、オバチャンはもとより、先生などに出会っても、ことさらに説教じみたことを言われたり怒られた記憶がない。16、17の子供なのだが、仮に授業をサボればそのツケは誰でもない自分にはね返ってくるという自覚はあって、「1人暮らしの生活の事情だ」くらいに意気がっていたと思う。細かいことは言わずに、苦笑いしながらも遠くから黙って見てくれている大人がいた。あの頃の大人は大きかったなあ、と今の自分に比べれば、今さらにそう思う。


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