2008年09月12日号

十五夜に…


小さい頃は「十五夜」の日になると何となくうれしい気持ちになった。子供たちは山でススキや萩などの秋の花と、アケビだの山ブドウだの栗だのを採ってくる。祖母や母はだんごや飯もち(おはぎ)を作り、枝付きの枝豆ととうきびなどをゆでた。男はそれを神棚と月の出る方角の縁側に供えて、かしわ手を打って拝む。お盆の後の、やはり何だか特別の日で、山から上って澄んだ秋空にぽっかり浮かぶ満月は、夜空を照らしてことさらに明るく、いつもとは違うありがたいものに見えた。


   季節の移り変わりを知る二十四節気の「白露(はくろ)」は9月7日頃。朝晩が冷え込み始め、露が下りる季節になる。しらつゆが草に宿り、月に光る。草わらが辺りいちめんに集(すだ)く虫の声に満たされている。秋の夜は、そんな趣(おもむき)に人の心もどことなくしみじみとしてしまう。ほうっ、とため息のひとつも出そうになってしまう。


   今年は虫の音がいつもの年よりにぎやかなように思うのは気のせいか。フリリリリ…リリリ…と鳴くエンマコオロギ。草かげにルルルルル……と絶え間なくひそやかに鳴き続けるカンタン。先頃、野幌森林公園の大沢口の入口にある自然ふれあい交流館で、“カンタンの声”を聴くという催しがあって、多くの大人たちが集まる人気だった。あいにく雨がちで生の鳴き声は聴けなかったが、晴れ間に出た野でいろいろな虫が採取できて、みんな子供に戻ったように無邪気にはしゃいでいたという。交流館には身近な虫の声を聴ける装置もある。捕まえた秋の虫を見て、その装置で鳴き声を聴いて、本当に楽しかったと参加した人は喜んでいた。それほどに虫の音は人の心を引き付ける。


   虫の音というのはあれほど満ち満ちてにぎやかなのに、むしろ静寂さえ感じさせてしまう。自然が生み出す音というのは、人の心を和ませるといわれるけど、考えてみれば不思議なことだと思う。何万年もそうして生きてきた、悠久の祖先たちの記憶がわれわれ1人ひとりにちゃんと受け継がれているのだろうか。思えば、今の自分はその祖先たちの集合体でできていて、決して1人ではないのかも知れない。今年の十五夜は9月14日。ひとつ表に出て月の光を浴びながら虫の声にも包まれて、何千年も何万年も昔に生きていた頃の自分を思い出してみようか……。


家あげ花火

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