2008年10月10日号

いろいろだなぁ…


散歩人は小さい頃、アホタレであった。昭和の中頃、青っ洟(あおっぱな)を2本しっかり垂らして、その洟を拭くもんだから袖口を乾いた鼻汁でガビガビに光らせて、口は半開きで、山奥の部落から4kmの山道を歩いて町場の小学校に通っていた。道中は空想と妄想の世界である。頭の中はぼんやりと、春霞がかかったように果てしなく、とめどがない。言い様を変えればチョウチョが飛んでいる。


   そんなだから、学校の通信簿にもアヒル(“2”である)が遊んでいる。口を半開きにしたアホウが、時にブツブツひとり言を言いながら、時におかしなデタラメ歌を歌いながら、村の人の同情と哀れみが少し入り混じった温かい目に見守られもしながら、一人歩いているのだった。走らせてもたいがいビリを争う。手先は不器用で、物事ののみ込みも遅い。記憶力はほとんど壊滅状態。頭の回転も鈍いから、すぐに反応できない…。成長しても生来の“素質”は変わらないから、何でものみ込みが早くて要領良くテキパキと物事をこなしたり、気の利いたことをしゃべれたり、記憶力が良かったり、そんな人をずいぶんうらやんだものだった。


   ところが、多くの人と付き合いを重ねるにつれて、頭の良さにもいろいろあることがわかってきた。一を聞いて十を知るような利発な人、記憶力のいい人、お金儲けにも如才のない目先の利く人いろいろいるけれども、何から何まで優れているかというと、そうでもない。頭の回転の早いといわれる人の考え方が実はとても浅薄だったり、知性的で学歴の高いという人のものの見方が、意外に狭くて時に理屈にとらわれ独りよがりだったり…。逆に、“鈍い”と馬鹿にされている人が、とても深く物事を考えていたり、“学が無い”といわれる人が、的確な判断力を持っていたり…。


   頭がいいとか悪いとか、単純な尺度で人をはかって指さす馬鹿さ加減。そんなんでわが身を照らしていい気になったり悲観したりするのもまた、本当につまらない。人それぞれに賢い部分もいろいろだ。人それぞれに馬鹿な部分もいろいろだ。だからいろんな人々が織り合わさってこの世は成り立つのだろうと思う。少し年を取って、アホウな自分がちょっと愛おしく思えたりする…。


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