2008年10月24日号

心から笑っている?


会社の前の通りから、子供たちの遊ぶ声が時折聞こえる。ほっと心が和(なご)む。先日は、キャーキャーという笑い声が、ヒィーヒィーに変わって、そのうち声にならなくなった。苦しくなるほどに笑い合っているのだ。それを聞いている内に、何ともうらやましくなった。子供の頃のように、腹の皮がよじれるほどに笑ってみたい…そう思った。そういえば、目尻に涙がにじむほどに笑ったことが、大人になってからあったろうかと思い出そうとしてみても、その記憶が出て来ない。


   子供の頃は何かにつけてよく笑ったなあ、と思う。それも腹が痛くなるほどに無心に笑えた。では、まわりの大人が笑っていなかったかというと、オバたちにせよ、母親にせよ、村の大人たちも、おそらく日常の他愛のない話や出来事だったのだろうけれど、本当に良く笑っていたと思う。東北の山奥の村で、経済的にはむしろ貧しかった。家庭内でも村の中でも、いろいろないざこざや確執はもちろんあった。それでも、真からよく笑っていた人々の情景が、記憶の奥に浮かび上がる。特に女たちは良く笑った。腰の曲がった祖母がおかしさのあまり目尻をぬぐう様子も覚えている。


   今はテレビのお笑い番組を見ていても素直に笑えない。落語を聴いても、はは~んとニヤつくだけだ。日常では顔は笑っても、腹の底から笑った記憶があまりない。散歩人だけではなく、どうも世の中全体に笑いというものが引きつってしまっているような気がしないでもない。女の人たちの笑いも、どこか不完全燃焼気味だ。世を斜めから見る癖がついてしまったのか。心が理屈に絡(から)め取られてしまったのか。心から笑えないひねくれ者に成り下がってしまった気がして、気が滅入った。


   見ていてこちらも笑ってしまうような、あの天真爛漫な笑いがたまらなく懐かしい。散歩人の家には「箸(はし)が転んでもおかしい年頃」の思春期盛りの娘が生息しているから、夕食時、試しにちょっと箸を転がしてみた。「何やってんの?」と、ただ不思議な顔をされた…。


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