2008年11月28日号

達人の目


まだ、20歳にもなっていない頃、奨学生で住み込みんでいた新聞専売所の先輩にモッちゃんという少林寺拳法の高段者だという人がいた。好人物で面倒見が良かったから、みんな頼りにしてさんざんに甘えていたのだが、ある時遊びの度が過ぎた。夕刊が到着して各自の自転車に積みかえていた。新聞を梱包していたビニールやテープが店の前に散乱するのを、モッちゃんが次から次へとおどけたしぐさで片付ける。それが面白くて、散歩人と2~3人は、せっかく片付けた路上にこれ見よがしにわざとビニールやテープを捨てたものだ…その一瞬、モッちゃんはやっていいことと悪いことの区別もまだつかない後輩どもを睨(にら)み付けた。その時の目が忘れられない。確かに目の底で、ギランと何かが燃えたのだ。背筋がびくりとして凍った。ほんの刹那(せつな)の事で、モッちゃんはすぐにニヤリと笑って「バッカヤロウ」と冗談めかした。それに救われ、ほっとしながら、後輩たちは笑いを引きつらせながら「すいません」とあやまった。


   現実の世界で、モッちゃんの瞳はハッキリ燃え上がった。時代劇に良く出る剣豪や忍者の「殺気」というような気の放射なども含めて、ひとつの道で鍛錬し修練を積み、相応の境地に達したり道を極めた人物というのは、常人には考えもつかない能力と世界を持っている、とその時に身をもって思い知った。通り一遍の科学だとか理屈では計り知れない人というものの奥深さというもの…。むやみに人を軽んじたり、世の中を侮(あなど)ったりしてはいけないという処世訓も与えてくれた。


   逆に、武道や信仰や芸術やスポーツや、技術でも学問でも、農業でも商売でも、それぞれその道には一歩一歩の高みに上る階段があって、道に励む人の目の前にはその高みにその深みに到達するごとに、下にいる者や外の者ではわからない新しい世界が広がるという、そういう未知の希望があるという事もわかった。だから、ひとつの道に身を投じて中途半端に投げ出しては、きっと開ける新しい世界を知らないままに終わってしまう。くやしいと思う。簡単にあきらめてはいけないとも思うのだ。


   人や世の中に対する畏怖(いふ)もなく、表っ面だけでわかったつもりの、頭でっかちの能書き屋さんが闊歩(かっぽ)している。「達人」たちはそんな今の世をどう見ているのだろうか。“理屈”で逃げようとする度に、散歩人の中で、モッちゃんのあの目がギランと燃える…。


SMAP CD

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