2009年01月16日号

拠り所


この正月、散歩人は久しぶりに里帰りした。「帰ってみるかな」とちょっと言ってみただけなのに、家人がいつにない手際の良さで帰省の切符やらを手配してくれた。師走の30日夜10時発の急行で、「たまの1人旅もいいでしょ!」と送り出されてみると、「何だか追い出されてしまったような…」気もして、粗大ゴミを処分するかのような家人の爽(さわ)やかさが気にかかった。


   郷里の村は帰るたびに小さく見える。道も川もかかる橋も、もっともっと大きかったと思う。10軒ほどが寄り添う部落は、もう人の住まない家が2軒になり、年寄りが独りで暮らす家も2軒になった。跡継ぎのいない「限界集落」に近づいている、と兄は繰り返し言った。生まれ育った川の水を求める魚のように、なぜか里帰りしたくなる。「あれは空気を吸いに行くんだよね」と誰かが言っていた。ふるさとの空気と時間の中で、また、何かがよみがえる…。散歩人の場合、ふるさとは確かに、生きる拠り所になっている。しかし、そのふるさとも将来への不安に沈んでいた。心…仕事…家族…ふるさと…希望…人が生きていくための拠り所がみるみる失われて行く社会…。


   帰省中もニュースは“非正規雇用者”の失業問題だった。他人事(ひとごと)ではなかった。百姓の3男坊で帰るところはない。40歳頃だったと思う。札幌駅前のホームレスのおじさんが村の人に良く似ていて、驚いたことがある。年恰好が違って別人だと思い至ったのだが、「俺もこうなってしまいかねない」という恐怖が突然湧き上がった。その強迫観念におののきながら生きて来たともいえる。


   事務所の下を廃品回収車が通り過ぎた。そのけだるい拡声器の音に乗せて、女性スタッフが「ご家庭でご不用になりましたご主人様…だんな様などがございましたら……」とつぶやいた。思わず笑ったが、途中で笑いがゆがんでしまう気もした。


木村カエラ CD

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