2009年04月03日号

俗物数寄者の仏像彫り!


「数寄者」は「すきしゃ」と読んで、本業とは別に芸事(茶道のことが多い)に熱心な人物を意味する。「数寄」は「好き」で、「すきもの」とも読むらしいが、これじゃ、別の意味にとられそうだ。これと同じような言葉に「色好み」がある。以前、茶道裏千家に入門したことがあり、そのときに陶器や書、墨絵などに興味を持ち、数寄者に留まることで良しとした。その延長に仏像があり、老後の趣味として仏像彫りに挑戦してみようと思った。


   何事にも「型」から入る性格なものだから、彫刻刀や研磨道具、解説書、練習教材を取り寄せた。先ずは四角柱から球形を彫り出す教材に挑戦。元々細かな手作業が得意なので、数時間で完成して満足、これなら何とか出来そうと思った。さっそく、木取りをした材料(大まかな形を糸鋸で挽いたもの)を取り寄せ作業に取り掛かった。


   先ずはNHKの『趣味悠々』で放映された「わらべ地蔵」の作成に挑戦した。ある程度の型取りがされているので、彫刻刀を使って彫り進み、お地蔵さんに見えなくはないものが出来上がり。自分では満足のいく出来…最後は顔の造作なのだが、彫刻刀が思うように動かない。少し削ってみては他の部分との均整がとれず、彫り進むうちに段々と妙になっていく。一彫りの恐ろしさを味わった。


   私の左手は切り傷だらけ、出来上がりのお地蔵さんを見たスタッフからは「顔を見ると先生はまだまだ邪念の塊ね、診療に左手は関係ないから」と冷たい。傷の処置用の器材をバッグに入れてくれるのみ。茶の湯を習っていたとき、裏千家の前宗匠の訓話を思い出した。師匠から教わる作法は「型=かた」であり、これに心の「血=ち」を注いで初めて「形=かたち」になるという話だった。今までに7体のお地蔵さんを彫ったが、まだ白毫(びゃくごう=眉の上の額の真中にある丸い突起)を印す気持にはなれない。まだまだ「血=ち」の注入が足りないと見える!


携帯ストラップ

トラックバックURL:

« いくつになっても「青春」 | TOP | 娘の旅立ち »

[PR]SEO対策済みテンプレート