2009年06月19日号

飢饉普請のこころ


琵琶湖畔(滋賀県)が故郷の近江商人各家に、代々伝えられてきた家訓の一つに「飢饉普請(ききんぶしん)」という教訓があると、前に書いたことがある。飢饉で困窮する人が出たら、自宅でもお寺でも改修して仕事をつくれ、蓄積された富を放出して社会を救え、という心得だ。


   心理学博士の小林正観氏がその著書(「お金と仕事の宇宙構造」宝来社刊)で紹介している話も書いた。新潟県の蒲原(かんばら)平野に、越後随一の大地主だった伊藤家の、部屋数65を数える豪壮な家屋敷が残る。現在は国の有形文化財「北方文化博物館」として、豪農の面影を今に伝えているが、屋敷の庭園に、高さ5m、幅10mほどの築山(つきやま)があり、博物館の館長を務める8代目の伊藤家当主が語ったというその築山の由来…。ブルドーザーなら2時間くらいでできるかもしれない小さな築山を造るのに実は3年半かかったそうだ。その築山は、伊藤館長が子供の頃に3年間飢饉が続いた時があり、お父さんかおじいさんが近隣の農家の人に「車や大八車を使わず、手で、ここに築山を造ってください」と呼びかけ、年寄りも、子供たちもみんな仕事に参加することができた。伊藤館長は子供心になぜそのような事をするのかわからなかったが、完成してから――手作業だとたくさんの人手が必要になり、その間、多くの人にずっと賃金を払い続けることができるから――と聞かされたという。


   いま、道路工事など公共工事の現場を見るにつけて気になるのは、その寒々しい光景だ。機械ばかりで人がいない…。これでは工事をしている地元にお金が落ちてこない。生活基盤を整えると同時に、人々の収入につなげ、国民の生活を安定に導くという公共工事の役割も果たされていそうにない。


   飢饉普請にも伊藤家の築山にも共通するのは、「金は人のために使わなければ生きない」という教えだ。効率化ばかりが追求され、人減らしが評価される現代では、こうした行いは会社では“経費の無駄づかい”、行政では“税金の無駄づかい”だと、逆に攻撃されてしまう。根っこのところで、人を大切にする視点が否定され、人を邪魔者扱いにする、そういう社会システムがあがめられている。


   若者は未来を見つめて、壮年は家庭を守り子供を育て、老年は安心して暮らせるための人々の働き場所を、役所も会社も目を皿にして、頭をしぼって少しでも見つけていく気持ちと努力が、本当に必要なのではないかと、切実に思う…。


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