2009年09月04日号

秋に想う


日毎(ひごと)に日が短くなって、そこここに秋の風情が深まって行く。夕焼けが雲を染めて暮れ行く美しさ。冴え冴えと澄み切った月の光がことさらに心にしみ込む。ああ、なぜだろう。世の中のありとあらゆるものが愛おしい。なんだろう。このもの悲しさは……なあ~んて、この季節になると柄にも似合わない感傷的な気分になってしまう。不思議なのは、これだけ種々雑多有象無象てんやわんやの人の集まりなのに、古今東西、人の精神というものはどうも押し並(な)べて秋になると哀愁を帯びる…秋という季節の魔力。


   フランスのベルレーヌという詩人の「秋の日の ビオロンの ためいきの 身にしみて うら悲し…」は、明治の頃の上田敏という人の名訳(大きくなるまで“ビオロン”がバイオリンのことだって知らなかった)。平安時代の清少納言は「秋は夕暮…」(枕草子)と、夕暮れ時や夜のしみじみとした情緒を書いているし、義孝少将という人は「秋はなほ夕まぐれこそただならね 荻(おぎ=ススキのような草)の上風 萩(はぎ)の下露」と、秋の夕暮れの哀感をうたっている。四季のない土地のことは知らないけれど、フランスも日本も昔から、秋になれば何だかもの悲しくなったり、人恋しくなったりするようなのだ。


   …で昔、ちょと一杯やっていたら、友人が「道で行き会う人みんなに抱きつきたくなることがある」。あなたも、あなたも、あなたも、みんな精一杯頑張っているんだよねえ…とか、みんな生きているなあ…とか、そんな愛しさが込み上げてくるのだと言った。気持ちは同じなんだなあ、と変にうれしかったが、ただ、興に乗れば本当に抱きつきかねないから、心配だった。十五夜の頃、月の光に映えるイチョウ並木がきれいで、路上で踊っていたら、迎えに来た家人に見つかってこっぴどく叱られた記憶がある。アブナイ…。


   「秋深き(し) 隣は何をする人ぞ」と、松尾芭蕉も詠(よ)んだ。秋の夜長、それぞれの人生を送る人々に、しんみりと思いをはせる…そんな気持ちかも知れない。耳を壁にくっつけていたわけではない…多分。秋、人はみんなやさしくなる…。


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