2009年10月16日号

続・最期の言葉


《【最後】最も後であること。最終。終末。》《【最期】(ゴは「期」の呉音)いまわのきわ。命の終わる時。死にぎわ。臨終。》=以上、国語辞典「広辞苑」=。…でありまして、前号「散歩道」で“最後の言葉”とか“最後の一言”とか書いてあるのは、通例では“最期の…”と書くべきのまったくお恥ずかしい書き間違いでございまして、ここに訂正いたします。散歩人はいたく恥じ入り、「印刷会社で輪転が廻ってる頃、突如として、あっ、字を間違えた!!と気がついてから今日まで5日間、穴にでも入りたい気持ちでした」と反省の様子。読者の皆さんどうか、お許しください。ただ、後で「間違いはもう最後にしたい…」などとシャレていたのが、どうも反省が足りないような…。


   で、「最期の言葉」第2弾。辞世の句は先に用意している場合も、死を覚悟して詠(よ)む場合もあるのだろうから、ある意味想いを込めて少し飾ったり気取っている。ところが、いまわの“最期の言葉”になると本音も出る。室町時代、天皇の子供で出家し人間味の濃い独自の禅の境地を開いた一休禅師(一休さん)は「死にとうない」と言って、座ったまま眠るように亡くなったという。87歳。江戸後期博多に生きた、やはりひょうきんさを持ち合わせ、軽妙洒脱な絵師として有名だった禅僧の仙崖(せんがい)和尚も、その最期の言葉は「死にとうない。ほんまに死にとうない」。くしくも同じ87歳。理不尽な世に怒りながらも世俗を愛おしむ共通した心があったような気がする。


   仕事にかける人々にはすさまじいほどの執念がほとばしる。89歳の最期でもなお「せめて後5年の命があったら、本当の絵師になれるのだが…」と言って死んだのは、浮世絵師・葛飾北斎。小説家・谷崎潤一郎は「これから小説を書かねばならない…。小説を…」。79歳。漫画の神様・手塚治虫は「隣の部屋に行くんだ。仕事をする。仕事をさせてくれ」。自宅の仕事場は寝室の隣にあったという。60歳。野口英世は黄熱病の研究で自分は免疫を持っているはずなのに黄熱病の症状が出たため、「どうも私にはわからない」と最後まで悩みながら亡くなった。53歳だった。親しみ深い人柄が愛されながら48歳で逝ったアナウンサー・逸見政孝は「3番が正解です」。クイズ番組を思わせるうわごとが最後になった。


   満足しながらの最期も多い。シャンソン歌手の越路吹雪は「いっぱい恋もしたし、おいしいものを食べたし、歌もうたったし、もういいわ」と言い残したと伝えられる。狐狸庵こと作家の遠藤周作は「私にお酒を1杯くれない?ついでにタバコも1本くれない?満足。これでゆっくり永眠できるわ」。73歳。こんなひと言を残して死ねたらいいだろうなあとうらやましいのは、弁士で漫談家・俳優の徳川夢声「おい、いい夫婦だったなあ…」。77歳。


   宮澤賢治は「ああ、いい気持ちだ」と言って、37歳の生涯を閉じた。意味もなく何か賢治らしい…と思ってしまう。昭和22年80歳で亡くなった作家の幸田露伴は「じゃ、オレはもう死んじゃうよ」といさぎいい。やっぱりどうしてもすごいのは勝海舟「コレデオシマイ」…!!


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