2009年12月04日号

保津川下り…京都の水路


この連休に京都に出かけた。嵯峨野を散策し、できれば保津川下りも体験したかったからだ。この川は場所によって上桂川、大堰川、保津川、桂川と名が変わり、亀岡から嵐山までの間を特に保津川と呼んでいる。古くは舟を通すことができない激流だったが、江戸初期に京都の豪商だった角倉了以が私財を投じて水路を開き、丹波に産する木材や薪炭を京に運んだ。


   朝7時半に出発してJR山陰線で嵯峨嵐山へ、嵯峨トロッコ駅は既に長蛇の列、紅葉の季節…当然だ。やっとのことでトロッコ亀岡駅から乗船場にたどり着いた。船頭さんが連発する駄洒落で乗船客一同は緊張を緩めてゆったりと進んだが、保津峡に入ると状況は一転する。船縁を擦るように両岸の岩が迫り、水しぶきが顔を濡らす。途中にはゆったりとした淵もあって、周囲の景色も眺望できた約1時間半の行程、今年の紅葉はイマイチとのこと。


   角倉了以の角倉は屋号だったらしい。本姓は吉田で祖先は足利・室町時代に土倉という金融業を営み、造り酒屋や医家、海外貿易なども兼ねた。現在、角倉了以の木像が嵐山の北にある大悲閣から見下ろしているとのことだが、保津川下りの船から大悲閣は見えなかった。彼は、京都市中を流れる高瀬川を開削したことでも有名だが、巨額の金を費やした工事、完成後にはしっかり通運料を徴収して採算が合っていたとのこと。


   保津川、高瀬川という角倉了以の開削した水路のほかに、京都にもう一つの有名な水路がある。旅行の最終日、銀閣寺から哲学の道を経て南禅寺へ、さらに蹴上のインクラインまで歩いた。水路としては逆行したのだが、琵琶湖の水を京都に引くことを目的として明治時代に完成した水路である。哲学の道から南禅寺に至る道筋の途中にある永観堂、ここで今回の旅程で最も美しい紅葉を満喫した。意図したわけではないが、今回の旅行は京都の水路をめぐる旅となった。


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