2009年12月18日号

曽田選手、ありがとう!


平成12年12月、1人の若者が38度の熱で来院。扁桃が赤く腫れ、急性扁桃炎と診断。診察を終えると「明日から走れますか?」と彼、「熱が下がっても明日は安静に…どうして?」と私。「仕事がそうですから」との答え、改めてカルテを見た。名前は曽田雄志、「もしかしてコンサドーレに入団の?」と。これが曽田選手との出会い。


   この年の2月に開業、クリニックからコンサドーレのホームである厚別競技場までは歩いて十分ほど、J2で快進撃を続けるコンサドーレのサポーターになった。翌年はJ1での戦いだったがチームは低迷、02年は更なる戦力低下のために再びJ2に降格。その最終節の広島戦、曽田選手はハットトリックを達成、3点目はJリーグ最後のVゴール(今は無くなったが、延長戦で点数を入れた方が勝ち)となった。


   曽田選手は札幌に生まれ、小学校4年生からサッカーを始め、札幌南高校から筑波大学に進学、01年にコンサドーレに入団。最初はFW登録だったが、幼稚園時代に跳び箱13段を跳んだ驚異的なジャンプ力を買われて03年からはDFに転向。07年はブルーノ・クアドロスとコンビを組み、抜群の安定感でJ2優勝、J1昇格の原動力となったが、このとき彼の腰と膝は悲鳴を上げていた。


   初診以後、曽田選手と一緒に会食する機会が何度かあった。饒舌ではなく、どちらかというと寡黙な彼だが、口から出る言葉は詩人か哲学者を想念させる。後で知ったが、彼はリルケの詩を愛好するという。私のレプリカ・ユニフォームに書いてくれた「人生は辛苦、だからこそ美しい」という意味の英語は今でも心に残っている。今年の11月17日に現役引退が公表され、11月29日のヴェルディ戦のロスタイムにFWとして起用。果敢な攻めでPKを得て見事に決めた。サッカーの神様は慈悲があるらしい。試合後、引退セレモニーが行われたが、彼の生き様の一端を見てきた私は、涙、涙の連続だった。曽田選手、本当にありがとう!


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