2010年01月22日号

No.112


最近、これ以上年を取りたくないと、真剣に思う時がある。でも、生きるという事は死に向かって生きているという事。一般の人達よりずっと身近かに死に向き合う仕事をしているのに、いや、死に向き合う仕事をしているからかも知れない、私は死ぬのが怖い。理由はひとつ、家族と別れるのが辛いから…。


   それで年の始めに真剣に考えた。「修子さんの人生の使命はなに?」って。日頃、「自分の使命を果たす」とか言葉にしたり、文字に書き留めたりしているが、ハテ?何だろう?私は、たまたまこの世に生れて来たのではなく、両親の願い、希望のもとに生れて来た筈。尊い命を頂いた。愛情をいっぱい注いでもらって大きくなった。なのに、私の使命は「これだ!」と分らない。


   如何に死ぬべきかとか、どのような人であったと言われたいのか、等と考えていたら、なんだか本当に泣きだしたくなってしまった。読者の皆さん、私っておかしいでしょう?命根性が汚いと言われてもしようがない。兎に角、死ぬのが怖いのです。


   ある宗教書に、「人は、偶然この世に生れて来たのではなく、人生の目的と使命を持って、それを果たすために生れて来た」とあった。でも、私は自分の使命が「これだ!」と分らない。心の底から高まって来る疼きのようなもの、「これをやりとげたい」と思えるもの。此処に使命があるのかも知れない。如何に死ぬべきかは永遠の課題で、どのような人であったと言われたいのか…なら答は出せそうだ。何処にいるのか見つけられないほどの小さな星でいい、キラッ!と小さく光る星屑でいい。愛する子供達、そして、めんこい麗生ちゃん(孫)が、夜空を見上げて、「あッ!お母ちゃんだ!」「おーちゃん(私のこと)のおほしさまだよ!」と見つけてくれたら嬉しいな。


   心の回診の読者の皆様、今年も拙い文章を書かせていただきます。宜しくお願い致します。


おせち

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