2010年03月12日号

歩いていれば春が来る・・・


○月○日…から始まる散歩道の書き方を、2月いっぱい試してみた。散歩するのに、まさか女の人ばかり見て歩くわけじゃあるまいし、あっちの花、こっちの木、そっちの石垣の隙間の虫さん…などとあっちこっち見てうろつくのが散歩なのだから、ひとつのテーマで流すのはお散歩精神に反することになるのではないか…と思って、頭を過(よぎ)るいろいろなことを眺めてみようと始めたのだが、いざ始めてみるとあっちからこっち、こっちからそっちへと目移りして落ち着かない。気ぜわしさも出てきて、のんびり遊んで歩いていられない。…で、一応○月○日の書き方はやめることにした。


   実はこの書き方は、昭和の初めから戦後まで活躍した女流作家・林芙美子の日記風小説「放浪記」の形だけを、おこがましくも真似たものだった。林芙美子の青春時代の言い知れぬ苦労については前に書いたが、「放浪記」はその時代の日記を元にまとめられている。その「第三部」に、女給の頃の休みの日の事を記したこんな一説がある。


   (3月×日)うららかな好晴なり。(中略)誰一人知った人もない散歩でございます。(中略)池の石の上に、甲羅の乾いた亀がもそもそと歩いている。いまにいいことがあるぞと云(い)ってくれているのではないかと、にゅっと首を上げている亀の表情をじいっとあきずに眺めている。少しはねえ、いいことがあるように、私のことも考えて下さいなと亀に話しかけてみる。慾ばってはいかん。はい、承知しました。何が慾(ほ)しい?はい、お金がどっさりほしいです。毎日心配なくご飯が食べられるほどお金がほしいです。男はいらぬか?はい、男はいりません。当分いりません。それは本当かね?はい、本当のことでございます。男はやっかいなものです。辛くて一緒にはおられません。私は何をしたら一番いいでしょう?それは知らん。あんまり薄情な事は云わないで下さい。――亀と話をしているのは面白い。一人でぶつくさと亀と話をしている。足もとの小石を拾って、汚れた池へどぽんと投げる。亀の首が縮む。その縮みかたが何だかいやらしい。わあっと笑い出したくなってくる。(後略)。


   「放浪記」を読む度に、芙美子という人のどこかあっけらかんとした明るさと強さに救われる。寒い冬の次は、暖かい春。3月、降る雪は風に舞うわた雪(ぼたん雪)。すぐに消えてしまう淡雪だ。日差しが温かくなって、水色の空は明るい。「いい時もあれば悪い時もある。悪い時があればいい時がある」と、それが世の中だから大丈夫だと仕事先の主人に教わって、散歩人の大切な言葉になった。一歩一歩…歩いていれば春がくる。空や木に話しかけながら、芽吹きの春を探しに散歩してみるのもいいかも知れない。亀に出会いはすまいけれども…。


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