2010年04月16日号

No.115


私は「10年日記」というものをつけている。平成5年元旦から書き始めて17年、3日坊主の私がよく続いているものだ。子供達の成長の記録、仕事の悩み、中には人には言えない、お墓まで持って行かなければならないものもある。頁を開く度に胸が苦しくなる辛く悲しい箇所もある。


   平成6年4月7日、夫の寝室に巨大な酸素ボンベが運ばれた。末期の肺癌を、自ら我が身に宣告した夫にとって、命の綱となる酸素だ。その夜、私は、虫の知らせか眠る事ができず、夫の側にいた。「おまえはやっていけるか?」と言った。私は、「やって行けない」と泣いた…。「すまないな…お前も休め」と言ってくれた。心細くて窓のカーテンを細く開けて夜空を見上げた時、不思議な体験をした。漆黒の空には満点の星が輝き、ひときわ大きく光る星が「パチン!」と音を立てゝ弾け、夫のベッドの周りがキラキラ光った。その朝8日、禮助さんは私の見守る中で亡くなった。


   「断らない」「何んでも診る」「いつでも診る」が医者の3原則だって言ってたでしょ?初めて出逢ったとき、仕事の話ばかりするので真面目な人なのだと思ったけど、その通りの人だった。初めて二人で行ったレストラン覚えてる?「なに食べたい?」って言うから「カレーライス」って答えたら、小さなカレー屋さんに連れて行ってくれた。辛いカレーで大汗かいて食べた。禮助さんは仕事の話ばかりしていた。でも私、「この人と結婚する」って直感で思ったの…。肺癌で逝った禮助さんの枕の下には「生者は死者のために煩(わずら)わされるべからず」って、特徴のある丸っこい字のメモが遺されていた。外には春の名残り雪が舞っていた。


   お葬式が終わって、いきなり理事長に任命されて途方に暮れたけど、職員の皆が助けてくれた。


   今年も4月8日の命日に合わせて御聖堂はたくさんのお花でいっぱいです。禮助さんは64歳のまま笑っています。


黒執事 CD

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