2010年12月24日号

クリスマスの思い出


クリスマスの朝、小さな小さなサンタの足跡を見つけて、まだ小学生になったばかりの娘が喜んだ。枕元に置かれた赤いブーツの贈り物にはしゃぎながらも、サンタクロースが本当にやって来たのか疑問を感じる年頃になっていたらしい。どこかふに落ちない顔をして小首をかしげたのに、父親はちょっと困って、サンタが来た痕跡がないか一緒に探そうということになった。


   今はもう煙突はない。もしかしてお前が寝ている2階の窓の下に足跡が残っているかも知れない。そんなことを言って、2階の窓を開けて見た。小屋根に降り積もったばかりの新雪の上に、軒の電線から落ちたらしい雪の塊(かたまり)の跡が、足跡のように点々とついている。これ幸いと、父親は小さなウソをついた。ほら、きっとサンタの足跡だ。小さい足跡だけれど、サンタは神様だから、きっと大きくも小さくもなれるから…。娘は、一瞬、怪訝そうな顔をしながらも、ふふふ…本当だ。かわいい足跡だとうれしそうに笑った。


   戦後10数年、散歩人が生まれ育った東北の奥深い田舎の農家では、自然の中に埋もれた素朴な営みが続いていた。昭和30年代の初めは、まだ裸火で柴をたく囲炉裏(いろり)の生活で、ダルマの薪ストーブが据えられるようになったのはその数年後だった。そんな田舎でも、クリスマスの朝には、枕元にそっと、菓子を詰めた赤と銀ラメの紙製のブーツとおもちゃなどが置かれていた。幼心に、煙突がないのにサンタはどうやって来たんだろうと思った記憶がある。テレビはまだない時代、何かの絵でサンタが石組みの大きな暖炉の煙突を降りて来るものと信じていたのかも知れない。ストーブになって今度は、細い煙突にどうやって入って来るのだろうという謎が生まれた。


   山奥の小さな集落。遠い町まで行って用意してきたサンタクロースからの贈り物に、幼子は無邪気にはしゃいだ。戦後10年やそこらで大人たちはキリストの生誕の日に贈り物をするという異教の風習を日常的な文化としてすんなり取り入れた。ただただ子供たちのうれしい姿を喜んだのだろう。子供たちを育(はぐく)む大人たち共通の、ほんのちょっとした内緒事。それは、今も行われている。それぞれの家々の“サンタの秘密”を、シーッと口に人差し指を当てて、大人たちはただ静かに受け継ぎ守ってきた。


   宗教に無節操などという小ざかしい理屈を超えて、おおらかでやさしくて慈(いつく)しみに満ちた日本の人々。何という素敵な人々だろう。


GReeeeN CD

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