2011年02月18日号

No.125


「書けない、書けない…」私は原稿用紙を広げ、ペンを握り呪文のようにつぶやいている。これはおまじないではなく、テーマが決まらないから手が動かない。心が動かない。すると救世主のようにパウロ病院の関連施設に入居されているA男さんの言葉が思い出された。


   「会長さん、80歳を過ぎて漸く解って来ましたよ。日本人っておかしいね。若い時は早く一人前になれとか、もっと成長しろとか、社会に役立つ人間になるのだ、などと言われ続けて来ました。徳川家康の言葉に『人の一生は、重荷を負いて遠く道を行くが如し』と言う言葉がありますが、老後はそうじゃないんだよ。75歳を過ぎた頃から、誰からも自分は期待されていないのだと自覚するようになりました。呼ばれるのは孫の結婚式ぐらいのもので、それも、いてもいなくてもいい、よかったらドーゾ!って感じかなあ…。期待されないと言うのは実に気楽でいい。葬式なんかもね、顔を出さなくても、今となってはだれからも批判は受けませんからね。実にいいね…」


   実にいいね…と歯を見せて笑ったA男さんの表情の奥には、年を重ねるって事は「寂しい事よ」と訴えているようにも見えた。


   思うに、老いを受容するまでには、孤独を乗り越える苦しみがある。年を重ねて生まれて来るさまざまな体の障害は避けては通れないものだと思う。老いが進むと言う事は、自分を支えている拠り所が一つずつ崩れて行く事ではないかしら。そうも思う。しかし認知症や寝た切りの重い障害が残ってしまった人がはたして不幸のドン底にいるのか…といえば、決してそうではない。しっかりしたサービスさえ受けられれば多くの人は老いを受容し、明るく、生き生きと暮すようになるのです。世の中に向かって撥刺(はつらつ)と発言される高齢者の方の姿が私には眩しく見えます。


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