2011年02月18日号

日本語の語感と国語教育


昨年秋に『語感の辞典』という本が岩波書店から刊行された。「まえがき」の一部をおさらいすると、「島村」も「シマムラ」と書くと外国居住の日系人っぽいし、「しまむら」と書くと衣料品スーパーを想像、「島むら」と書くと割烹、「しま村」と書くと居酒屋のように見えると…。


   だが、語感は表記による違いだけではない。「明日」は「あす」「あした」「みょうにち」とも読んで意味も同じだが、会話では音声として区別する。「台所」と書いて「キッチン」とフリガナすることもあるし、「工場」も「こうじょう」と「こうば」では語感の違いが明らかだ。こうした使い分けは日本語を母語として学んだ人にとってはあたりまえ。


   一昨年の夏に『日本語が亡びるとき』(小林秀雄賞受賞)という衝撃的な表題の本が出版。かつて西欧のラテン語、東洋の漢語はその地域での《共通語》として君臨したが、インターネットの普及で、英語が地球規模の《普遍語》になりつつあると言う。その影響で仏語や独語、日本語など《国民語》を母語とする人達も英語で読み書きする機会が増え、日本語独特の微妙な表現が「滅びる」運命に遭遇していると警告。確かにファッション雑誌の記事の半分近くがカタカナ表記の英語であるのも珍しくない。


   郵便制度の父・前島密が「漢字御廃止之議」を1866年に上申したことは知っていたが、1966年に文部大臣・中村梅吉が「国語の表記は、漢字仮名交じり文によることを前提」と表明するまでの100年間、漢字廃止・制限が国家の方針だったことは知らず、当用漢字は「当面使用できる漢字」の略だったことに驚いた。最近、使用できる漢字を拡大する傾向がある反面、義務教育での英語教育早期導入や国語教育時間の相対的減少…英語に翻訳不可能な微妙な日本語表現を学ぶ機会が減って、「日本語が滅びる」条件が整いつつあるのを危懼する。これは語学が不得手な私のヒガミ根性なのだろうか?


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