2011年08月26日号

タニシ泥棒


山の上の僻地にある家から中学校まで4kmほどの山道をたどって通った。ほとんどが下り坂である。行きは良いのだが、上りの帰りがコワい。自転車では山道を押して帰るのがかったるい。出稼ぎに行った兄が高校時代に乗っていた原付バイクがあったから、時たまそれを乗り回すようになった。学校の近くまでバイクで行って、物陰に隠して後は知らんぷりして登校した。田舎道で、今のようにお巡りさんやパトカーと行き会うこともなかった。ただ2回ほど駐在さんに行き会ってドキリとした事があった。「気つけれよ」…2回ともそう声をかけられただけだった。


   生意気盛りである。形式的な法律よりも生活の方が大切だというような、気負った考え方をしていた。人手が足りずにトラクターを運転することもたびたびだったから、そういう大人ぶった理屈に酔っていた。トレーラーを後ろにつけて、「運転は大丈夫か」と心配する母親を乗せて、「もう慣れだがら大丈夫だ」と、不安を虚勢でごまかして国道を走らせた。小型トラクターで公道を走るには原付免許が必要だったが、もちろん無免許である。捕まったら“人手が足りない生活の理屈”で立ち向かうつもりの気負いがあった。ともかく、母親が1人の男手として中学生の自分を頼りにしてくれるという晴れ晴れしさに舞い上がっていたように思う。そうやって1人の少年は、また一歩、大人に近づいた気がしていた。


   中学3年生になった少年は、たまたま父親と2人の夜、酒の肴にネギを焼いて食うのを手伝わされながら、田んぼの田螺(タニシ)が「実はうまい」と言うのに答えて、「学校の池になんぼでもいる」とバイクで夜道を走り、小1時間で袋いっぱいに取って来て、少し泥を吐かせてから醤油で煮て父親と2人で平らげた。昭和40年代前半。当時、田螺なんぞはどこにでもいるからと、父も子も罪悪感などは皆無だった。親父と一緒に酒の肴の話をして用意もして、対等に舌鼓も打って、また大人になった気で肩をそびやかした少年の姿がそこにあった。


   翌日、学校の朝礼で校長先生が深刻な表情で訓示した。「昨夜、本校に泥棒が入った。校長室の窓下の池に荒らされた形跡がある。被害は今調査中だ…」。少年は大事になったのに驚いて、ただただ身を縮めていた。泥棒話はいつの間にか頭の上を通り過ぎたが、池にはあの夜に田螺を拾うのに夢中で動き回った足跡が、ボツボツと派手な黒い穴になってしばらく残り、少年を苦しめた……あの時の泥棒はオレだと、今初めて告白する。


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