2012年01月27日号

おめでたい話


このところ七福神やらめでた話の中をあれこれとうろついている。1月27日は旧暦の昔であれば、まだ正月5日の松の内。寒もゆるんでもうすぐ春(2月4日立春/前日は節分)。まだ、めでたいのだ。


   頭でっかち、背小さく裃(かみしも)姿のおなじみ、福助人形…江戸後期には「ことしよりよひ事ばかりかさなりて心のままに叶福助(かなう福助)」というざれ歌が流行るほど世間に広がった。モデルは、新吉原の技楼を1代で大店にした大文字屋・村田市兵衛という大変ケチな人。夏に安いカボチャを大量に買い込みいつも食べていたことから、カボチャとあだ名され、大頭のその姿をからかった歌や踊りが評判になり逆に宣伝になって店は大繁盛。それにあやかりたいと「叶福助」と名付けられた人形が登場した…とか(「街談文々集要(がいだんぶんぶんしゅうよう)」より)。


   大丸百貨店の前身の大文字屋創業者・下村彦右衛門がモデルだったという話もある。大丸の歴史は、1717年(享保2年)、京都伏見の古着商の家に生まれた下村彦右衛門正啓の、呉服店「大文字屋」創業から始まる。この人が、背が低く頭が大きかった。有名な伏見人形の生産地でもあり、福助人形の型がたくさん残されているそうだ。


   店や会社の事務所で良くお目にかかるのは、「仙台四郎」という人が正座してにこにこ笑っている写真。商売の福の神としてもてはやされている。仙台四郎は明治35年頃まで実在した人物。7歳の時、川でおぼれて生死の境をさまよい、知的障害を負った。ほとんど話すことができなかったが、四郎が訪れる店は必ず繁盛する…「福の神」だと、存命中から東北各地で噂になって、その足取りが新聞にまで報道されたほどだった。素直でやさしく、子供が好きで、いつも機嫌よく笑っていたと伝えられている。大正の初め、仙台の写真館が「明治福の神(仙臺四郎君)」と銘打って写真を絵葉書にして売り出してから「仙台四郎」と呼ばれるようになり、地元を中心に崇拝されていたのが、最近になって全国に広がったという。


   あ、招き猫の話もあった。それは「ニャン・ニャン・ニャンの日」向けに…乞うご期待!


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