2012年03月02日号

何をなすべきか


東日本大震災から後、「今、私にできること」というフレーズが国中にあふれている。大合唱と言っていいほどなのだが、この言い方に当初からどうしても違和感をぬぐえないでいる。“できること”には、“できないなら、しなくてもいい”が背中合わせに張り付いている。あくまでも“余力があれば”だし、“その気になれば”で、突きつめていけば“してあげる”という無責任で傲慢な意識に行き着いてしまう気がするのだ。


   あの時…。想像を絶する自然の猛威に世界が驚愕(きょうがく)し、被害の甚大さに呆然(ぼうぜん)とした。国中が我がこととして被災地に心を重ね、被災した人々の身の上を案じた。義援金の受け付けが始まれば、現金を握りしめて、窓口のある役所まで走った人は少なくない。意外な人同士が、窓口で鉢合わせして照れくさそうに挨拶し合う情景なども、忘れられない。その時、国中にあふれていた気持ちは、「何ができるか」ではなく、緊迫した「自分は、何をなすべきか」だった。


   全国の自治体が、分担して受け持つはずだった被災地の瓦礫(がれき)の処理が、いっこうに進まない。放射能の不安から各地で住民の一部が強硬に反対して、自治体の動きを縛る。原発事故の地から遠く離れた岩手県のガレキであっても、同じようにかたくなに「反対」する姿には、異様な感じさえ受ける。「放射線が検出されなくても危ない」「内部被爆が問題だ」「放射能の拡散だ」「アスベストがまき散らされる」…だから、被災地に閉じ込めて処理すべきだ…。


   国中みんなで苦しみを分かち合うはずだったのに、いざ自分に火の粉が降りかかりそうになれば、ほおかぶりだ。不安ならば、まず引き取りを前提にどう処理すべきか、どう分かち合うかを自分たちの責任で決めるべきではないのか…前に進める論議がさっぱり見られないのだ。「何ができるか」とか「助ける」とか「思いやり」とかの傲慢な“上から目線”は、いずれ“悪いのは自分ではない”“見て見ぬふり”に逃げ込む。日本国民に課せられた「何をなすべきか」…の責任が問われているような気がする。


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