2012年03月30日号

続・その時…


崖っぷちの日本の命運がかかっていたその時……。内閣審議官として官邸でさまざまな場面に立ち会い、民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)の調査にも証言している下村健一氏は、自身のツイッターにこう書き込んでいる(3月23日号散歩道から続く)。


   (民間事故調報告書77ページにある3・11事故当日の模様)「総理室詰めの技術陣は電源車の手配にも即応できず(だから「官邸」が手配)」…「『電源車が現場に到着したら、電気を原発側に送るコードが要る』ことにも前もって1人も気付かなかった。この後も、こうしたトホホは信じ難いほど続く。当時の私のノートの走り書きより:『うつむいて黙り込むだけ、解決策や再発防止姿勢を全く示さない技術者、科学者、経営者』」…「私自身、あの時は人生最大の緊張状態にいた。眼を合わせない専門家さんに、『頼むから、1つの作業が始まったら、次に何を備えなきゃいけないか、先回りして考えて下さい!』と懇願したのを覚えている」…。


   (震災翌朝)「目の前にいる面々にいくら訊いても情報も判断も出て来ないなら、直接現場に行くしかない」…「この視察は儀式ではなく、状況把握作業だ。どうか本末転倒な歓迎準備になど人手を割いていませんように、と案じながら到着してみると、歓迎の人垣の代わりに建物内で総理を迎えたのは、毛布にくるまって廊下にゴロゴロ転がる疲れ切った人の群れだった。我々は、その隙間を進んだ」…「間近な最前線での闘いから時間交代で戻って来て、ぐったり仮眠しているその人達は、10cm横を今総理が歩いていることなど、全く気付いていなかった。その《総理扱いの放置ぶり》に、『ああ、これなら作業のお邪魔は最小限で済んでいる』と私は安堵した。そして会議室へ」…「官邸には(“本当の技術者”は)いなかった。だから、発生の翌朝原発に乗り込んだ時、図面を広げてテキパキと自分の言葉で説明する吉田所長を見て、『やっと話せる相手が見つかった』と菅さんは言った。私も100%同感だった」(一部略)…。


   下村さんは3月23日、今度は国会事故調の聞き取りを受けた。休憩無しで4時間。そして、当時つけていたノートの原発事故に関する部分を、個人情報(電話番号など)だけ黒塗りして、あとは何も隠さずにコピーしてそっくり提供した。当事者の誰1人として全貌をつかみようがなかったあの巨大な怪物との闘いを、たくさんの証言を総合してぜひとも掌握して欲しい、どうすれば次の有事にはより良い対応が出来るのか、何としても解析して欲しい…からだと言う。


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