2012年04月06日号

益子焼の里


昨年は東日本大震災の影響で予定していた全ての旅行をキャンセル。震災から1年が経過したので、BSで放映された益子町を訪れてみることにした。益子町は義母の故郷であり、2年前には義母、義兄や義弟夫婦と連れ立ってレンタカーで訪れた。今回は羽田から電車やバスを乗り継ぎ、街はずれにある窯元前の停留所で下車した。


   今回の旅は、手料理を盛り付ける食器を求めての旅。益子町の中心を走る城内坂通りを挟む陶器街を散策しながら何点かの食器を購入し、宿泊先のペンションに電話をして迎えに来てもらった。ペンションはかなりの山奥、北欧風の建物で泊り客は私たちだけ。広いガラス窓の前に炉があり、その前に座って薪から立つ火の穂を眺めていると、都会で過ごすよりもゆったりした時間の流れを感じることができた。


   益子焼の歴史は江戸時代末期、茨城県笠間で陶技を学んだ大塚啓三郎が当地で陶器製造に着手したことに始まる。益子は良質の粘土を産し、大消費地の江戸に近いという利点を生かし、擂鉢、水瓶、土瓶や土鍋などの台所用具の産地として栄えた。大正13年に濱田庄司(人間国宝)が益子に移り住んで窯を開き、柳宗悦が提唱した「用の美」をテーマとする民芸運動の影響で花器や茶器なども作られるようになり、益子に産する土と釉を生かした重厚かつ温かみを感じさせる生活雑器が有名だ。


   ペンションのご主人の車で益子町最大の窯元にある作家館に送ってもらった。施設を一回りしたところで特設ギャラリーに展示してある組皿に釘付け…黒釉の丸平皿に野草やどんぐりが描かれたもの。たまたま作家の吉川水城さんが会場にいて、「この黒釉も益子産のものを使っている」と説明してくれた。「清水から飛び降りる」気持ちでこの組皿を購入した。支払いを終えた妻は「まだ、ドキドキしている」と言ったが、私の心はこの皿に盛り付けられた料理に飛んでいた!


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