2012年05月18日号

No.140


パウロ病院が開設30周年を迎えます。水面下で準備委員会のメンバーが動き始めました。私の思い出のフィルムは、30年前に遡ります。当時、夫(禮助)は中央区のド真中のビルの中で、中山内科を開業していました。患者さんが待合室に入り切らず、廊下に補助椅子を並べて待って頂く状態でした。私は慣れない窓口の仕事を手伝っていました。


   ある日、夫は私を誘い、後にパウロ病院が建つ事になる広大な土地に私を立たせて「この場所をどう思う?」と聞きました。背丈程もあるススキの穂が黄金色に輝き、風にそよいでいました。百年記念塔がそびえ立っていました。直感で私は、この土地は栄えると思いました。「この場所で高齢者のための病院を建てようと思っている。おまえはどう思う?」「いゝと思う。私にも何か手伝わせて?」すると「病院の中を女くさくするなよ」この一言が夫の希望でした。今。改めて病院の中を見渡すと、結構女くさい所が目について、独り苦笑しています。「いつでも診る」「なんでも診る」「断らない」が夫の理念でした。全ての事が順調に幸せに流れる筈でした。


   そんなある日、夫は、自分のパウロ病院で胸部の断層写真を撮り、病名を「肺癌」と診断し、自らに余命を宣告したのです。残りの時間は短く、限られていました。「おまえはやって行けるか?」と夫が私に言いました。「やって行けない」と泣きました。「患者は断らない」「いつでも診る」「なんでも診る」これが医者の3原則だと言い、「すまないな。おまえもやすめ…」と私を労ってくれました。これが最期の言葉でした。


   「やって行けるか?」と聞かれた時に「やって行く。安心していゝよ」と何故言わなかったのだろうと、自分を責めた時もありました。禮助さん、今ならはっきり言えるよ。職員が全員頑張ってくれているの。だから安心してね。


コードギアス反逆のルルーシュ

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