2012年08月03日号

老いの幸福


今週末に長男の嫁と孫たちがやってきた。皮膚科医の嫁が北大学術交流会館で開催される先天性皮膚水疱症の患者さんたちの家族会に出席するためだ。金曜日午後9時過ぎに電話…札幌に着いてタクシーで向かっているとのこと。この週末に孫たちと過ごす予定を考えながら迎えに出た。


   日曜日はライオンキング観劇を予定していたので、明日の土曜日は、円山登山と動物園か小樽水族館と海辺の遊びかを選択させた。姉は前者を、弟は後者を選んだが、協議の結果、小樽水族館へ。両者とも好奇心が旺盛で、動物園に行けば動物の習性を、水族館に行けば魚の生息地や食物を尋ねられる。たまには生物の名前の語源を教えられることもある。


   最近、吉本隆明の『老いの幸福論』という本を読んだ。若い頃は「生きるとは何か」「死とは何か?」あるいは「人生とは何か?」とか悩むことがある。老齢期に入るとこうした長期的な未来を見通すことは無意味で、考えられるのは数カ月後から長くても数年後の先まで、後は「死が待っている」のみ。著者は、だから若者が10年スパンで考える幸福か不幸かを、もっと短い間隔、数日であったり、数時間であったりするスパンで考えるべきであると主張する。これは確かなことかもしれない。


   定年退職した人が、これから生きる道を熟慮して新たな人生を選んでも、まもなく肉体・精神的な制約から挫折するのを沢山見てきた。高齢になると慢性的鬱状態になり、これに挫折が加わると重大なトラウマとなる。孫との幸福な時間を過ごしたが、妻が孫を旭川に送っていき、孫が散らかした切り紙や落書きを見て寂しくなった。食事をしていないことに気づき、学生時代に学生寮で作った炒飯を思い出した。冷飯をバターで炒め、醤油で味付けするだけのものだが、妙に懐かしくて幸せな気分になった。バカボンのパパになって、これで良いのだ♪♪♪これで良いのだ!


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