2012年08月10日号

戦争の記憶


通信兵として満州に出征していた父が、夢にうなされるほど、戦場での記憶に苦しめられていたことを母親から聞いたのは、死んで数年後のことである。杭(くい)にくくりつけた“敵”を銃剣で幾度も突く。生きた人間の肉を突き刺す感触は、時に生々しくよみがえり、父を責め立てた…。


   戦争の話はよく聞かされた。アンテナ線を張り巡らすのに敵の銃撃の弾の中を駆けずり回ったこと、一抱えもある真空管を使ったこと、復員する時の様子。~ここはお国を何百里 離れて遠き満州の…と歌い出す「戦友」という軍歌を、時々口ずさんだ。何だか悲しい唄だと思ったことを覚えている。ただ、父を苦しめたであろう生々しい記憶については、子供の前で一度として口にしなかった。


   8月6日午前8時15分ヒロシマ。3日後の8月9日午前11時2分ナガサキ――アメリカという国が投下した原子爆弾は広島14万人以上、長崎7万数千人以上とされる人々を一瞬のうちに殺戮(さつりく)し、さらにまた現代に至るまで何年もかけて何倍もの命を奪い去って来た。映画にもなって反響を呼んだ、漫画家・こうの史代さんの「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の街」(双葉社刊)という本がある。被爆後、命の不安と深刻な被爆後遺症、結婚することもままならないさまざまな形の差別とを背負って、世間に口を閉ざして生きた人々を描いている。被爆後10年、主人公の女性は黒い血を吐いて23歳で命を奪われる。死の床で思う…「嬉しい?10年経ったけど原爆を落とした人は私を見て『やった!またひとり殺せた』とちゃんと思うてくれとる?」……この言葉が忘れられない。


   8月、「原爆の日」が来て「終戦の日」を迎える。今、血で手を染める戦争というものの、本当の恐怖を知る人が年々減っていることに、言い知れぬ危うさを感じる。散歩人の父親は、手に罪の感触を握り締めたまま逝(い)った…。


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