2012年11月30日号

森光子さん


女優の森光子さんが亡くなった。激動の時代を生き抜いた92歳。大正9年(1920年)、芸妓の娘として京都に生まれた。いとこの時代劇スター・嵐寛寿郎の独立プロに入り、15歳で映画デビュー、娘役で多くの時代劇に出演する。昭和16年(1941年)東京に出て、東海林太郎などの前座歌手になり、戦争中は樺太から中国、東南アジア、南洋の諸島まで戦地の慰問巡業に参加、「直立不動で涙を流しながら聴いてくれる」兵士たちを前に歌い続けた。「胸が詰まる思いだった」と言う。


   終戦後は進駐軍のキャンプをまわって歌うなどしたが、当時は死の病とされた結核にかかって療養生活を送る。助けてくれる人々があって快復し、芸能界に復帰。ミヤコ蝶々・南都雄二や横山エンタツなどと共演、喜劇女優として頭角を現した。そして、劇作家の菊田一夫にその才能を見いだされる。昭和36年(1961年)10月20日東京有楽町の芸術座で、菊田一夫作、森光子主演「『放浪記』林芙美子作品集より」初公演…生涯をかけたこの演劇公演は前人未到の2017回(2009年)を記録した。一度だけでも観たいあこがれの舞台だった。


   「花の命はみじかくて苦しきことのみ多かりき」……舞台「放浪記」は、このナレーションで幕が上がる。劇中に、木賃宿で芙美子(森光子)が書く小説の原稿が読み上げられる場面があった。「今度、とても好きな人ができたら、目をつぶって、すぐ死んでしまいましょう。生活が楽になりかけたら、幸せがずるりと逃げないうちに、すぐ死んでしまいましょう。」――また、芙美子が尾道の実家に帰って、自分の幼い頃のような貧しい行商の父娘を家に上げてご飯を食べさせる場面がある。その親子を送り出して、後ろ姿に叫びかける…「嬢ちゃーん、いつかきっと、幸せになるんよー。」そして、つぶやくように…「うちも、なるけぇ」――。


   作家・林芙美子の「放浪記」には、その生き様が赤裸々に描かれる。どん底が続くのに、泣きながらでも素っ裸で、真っ向から運命に向き合っていく、どこか明るくて強い生命力…不器用な真正直さ。どうしようもない悲しみを抱きしめながら…。それを演じる森光子の生涯にもそれは重なる。底抜けに明るい演技には、人の生きる悲しみをいつも真正面から見つめる哀愁が、しっかりと裏打ちされていたような気がするのだ。


   戦地慰問で明日の命も知れない兵士の姿を見つめ続けた森さんが「しちゃいけないものは戦争です。どんな大事なことがあっても理屈があっても、戦争はしちゃいけない」と、テレビのインタビューで強く語っていたのが印象的だった。「戦争を知るものは、幸せの根底にあるものは平和だと、もっと大きな声で言うべきだ」という、使命にも似た思いも抱き続けた…。


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